- 華麗なる欧州旅行(後編) -

 
  憧れのリッツホテルにほどなく到着した。タクシーが止まるや否や、典型的なイギリス人顔のハンサムなベルボーイがさっと現れ、すかさず後ろのトランクを開けて私たちのスーツケースを取り出し、この上なくすがすがしい笑顔を満面に浮かべて私たちふたりをホテルの中へと案内する。
 フロントでははたまた金髪碧眼のマシュー・マコノヒー似のお兄さんが、「グッドモーニング、マーム」とこれまたとろけるばかりの笑顔で出迎える。思わず目をハート型にしてうっとり見つめ返してしまう私を、ユウヤは隣であきれたといわんばかりに見ていた。フロントの向こう側に見えたカフェでは、いかにも上流階級といった感じの人たちが上品にお茶を飲んでいた。
 (着替えてきて正解だった…)私はほっと胸をなでおろした。
 通された部屋は、一番安いツインルームであったにも拘わらず、それはそれはゴージャスな部屋だった。ポーターがうやうやしく部屋を出たとたんに、私はすかさずバスルームやクロゼットのチェックにかかる。おおおおお!!なんとシンクからバスルームから、タップをはじめとしてあらゆるところが、これでもかと金ぴかで後光が差しているではないか!
 (それにしてもちと成金趣味では…)との思いもよぎるが、まあここはお姫様になった気分で快く受け入れよう。
 ベッドルームはピンクを基調とした明るいトーンで統一され、バスルームなどを含めてどこもきれいで新しい。ロンドンのホテルにありがちな、伝統と格式はあるが古くて使い勝手が悪い、という印象はない。ううむ、さすが天下のリッツである。ぐへへへへ…おっと、よだれが垂れてしまった。

 部屋で少し休んだあと、午後からロンドン観光に出かける。お坊ちゃまのリクエストに答えて、ろう人形館のマダム・タッソーズ、シャーロックホームズ博物館、大英博物館などを見て回った。しかし私には、ロンドン滞在最後のこの日に一仕事残されていた。ユウヤのために何枚も買ったテレホンカードがそっくり残っていたのである。20ポンド(約4000円)もするカードが5枚もある。これをこのまま日本に持ち帰ってなるものか。当時の私は一日の食費を600円まで節約していた紛れもない貧乏人であった。例え人の金だと言っても、そんな無駄な事を許すわけにはいかない。そこでユウヤをデパートの中のゲーセンに置いて、ここを離れないようにときつく言い残し、私はテレカを売りに近くの繁華街で怪しげなブローカー行為を開始した。いや、なんということはない。掃いて捨てるほどいる日本人観光客に話し掛けて、使わなくなった20ポンドのテレカを19ポンドで売ればいいだけの話だ。ショッピングセンターのオープンスペースで日本人を待ち構える。そして、笑顔で近づいて行っては、
 「こんにちは、観光ですか?」と話しかけ、相手が答えてくれたなら、
 「実は、買いすぎたテレカが残って困っているんです。20ポンドのものですが、19ポンドで買っていただけないでしょうか?」と頼むのだ。
 しかし、思っていたほど事は簡単にはいかなかった…。
 人からはパンダ顔と言われ、あたかも間抜けなお人よしに見えるはずの私なのに、その場所でひとり目を皿のようにして日本人を物色していた私の行動はやはりどこかしら怪しげにうつったらしい。話しかけるや否や、
 「あっ、結構です。」と逃げられてしまうではないか。
そこに、ひとりで休憩用のテーブルについていた若い男性を見つける。それまでは女性にばかり話し掛けていた私だが、こうなったらもう男でも女でもいい。私は彼のテーブルの向かい側の席に強引に座り、笑顔で話しかけた。
 「あのお、ちょっといいですか?」
すかさず男は仏頂面で答えた。
 「あ、今彼女来るんで、困ります。」
 「…………!!!!」
(何が悲しくてわざわざロンドンくんだりで日本人男を逆ナンパするかい!!!)
 しかしそのあとも私はあきらめなかった。数回場所を移動し、結局留学生風の長期滞在者のほうがテレカの必要性もあるし話も早いということがわかり、やがてすべて売りつけることが出来た。ユウヤのところに戻り、嬉々として戦果を報告すると、彼はしらけた顔でのたまった。
 「よくそんな恥ずかしいことが出来るねえ」
 (もとはといえばお前のせいじゃろが!!!)そう心の中で叫びつつ、殴れないこぶしを震わせていた。

 その日は、留学時代の友達であるキョウコちゃんと、彼女のだんな様であるイギリス人のマイクと一緒に晩御飯を食べる約束をしていた。ユウヤを語学学校の寮にぶちこんでいた間、ふらふらしていた私はロンドンの彼らの家にも三泊ほど泊めてもらっていたのであるが、その後私たちがリッツに泊まると言うと、食事の前にホテルの部屋まで迎えに来てくれたのである。実際、彼らは来てみたかったのである。
 東京に住んでいる人たちの多くが、わざわざオークラやら帝国ホテルやらに泊まったことがないのと同じように、ロンドンに住んでいる彼らもリッツに泊まった事などないし、また、一億総中流階級と呼ばれる日本人とちがって、ロンドンの庶民にとっては、リッツホテルに訪れるという機会すらも滅多にないのであった。
 やがてふたりはやってきた。いつもラフな格好だったふたりは、いつになくおしゃれをしている。こころなしか緊張した面持ちで、私たちの部屋の外に立っていた。
 まずは部屋に招き入れ、ユウヤをふたりに紹介し、ルームサービスでお茶でもとって、しばらく部屋でくつろぐことにする。キョウコちゃんはすかさず部屋の中をすみずみまで見て回った。部屋の中の家具やバスルームなどを見て回っては、
 「おおおおおおお」だの「どひゃああああああ」などと、狂喜の叫び声をあげている。チェックインしたときの私とまったく同じ行動パターンだったが、それを恥ずかしそうに横目で見ているマイクを見ながら、つくづく日本人女性はミーハーなのだろうか…と、ちょっと反省した。キョウコちゃんは、バスルームに置いてあった、「リッツ」の名前の入ったたくさんのアメニティーグッズをひとつひとつ物色していた。その迫力に圧倒された私は、「も、持っていっていいわよ、よかったら…」と言った。キョウコちゃんは、「えー、そうお?悪いわねえ…」と言いつつ、しかし言い終わらないうちにすでに持っていたハンドバッグにものすごい勢いでしまいこんでいた。私はそんなキョウコちゃんが大好きだった。

 語学留学中にマイクと知り合い、やがて結婚してロンドンに住み、市民権を得て、何の問題もなく日本企業で働いている彼女のような人は、イギリスでの生活にあこがれている日本人女性にとっては理想的なケースである。その上、私のように、語学留学などであちらに滞在していたときに彼女と知り合い、日本に帰ってきた友人が、ロンドンを訪れるたびに入れ替わり立ち代り彼女の家に泊まりに来るという。中にはお母さんと一緒に1週間泊まっていった人もいるらしい… でも彼女はいやな顔せずに泊めてあげるのだった。そして、どんなに外国暮らしに慣れても、決してタカビーになることはなかった。彼女の友達でやはりイギリス人男性と結婚してロンドンに住んでいる日本人女性の中には、だんだんとお高くなる人たちも少なくないとのことだった。そして、そういう人たちとのつきあいがストレスになる、と彼女はこぼしていた。キョウコちゃんは、私が学校で同じクラスにいたときと全然変わっていなかったし、相変わらず暖かく、友達思いの人だった。そして、相変わらずものすごいおしゃべりだった。実際、彼女の家に泊めてもらっていた三日間は、毎晩夜中の3時ごろまで彼女は機関銃のようにしゃべりまくり、お願いだからもう寝かせてくれ、と泣いて頼むまで私は許してもらえなかったのである。おかげで、翌日早朝の電車でユウヤのところに行かなくてはいけない日も、私は両目の下に鮮やかなクマを携えてふらふら出かけていったりした。

 その晩私たち4人はソーホーにある中華料理屋で食事をした。マイクがあまり日本語がわからないのにも拘わらず、キョウコちゃんは相変わらずものすごい速さの日本語でしゃべりまくっていた。かわいそうなマイクとユウヤは、お互いに話をすることも出来ず、黙ってもくもくと中華料理を食べていた。やがて食事を終え、店を出てふたりと別れる段になったとき、マイクが私に小さな声で言った。
 「キョウコが毎晩君を寝かせてあげなくて、気の毒だったね。」
私は「いえ、私も楽しかったです、ありがとう。」と言ったものの、
(ああ、この人も結構苦労してるんだなあ、)と思った。そして、今度いつ会えるかわからない友達と再会を願いながら笑顔でさよならした。ほんの少し、目が潤んだ。

 翌日の朝早く私とユウヤはパリへと向かった。
 私にとってパリは2度目である。イギリス留学中に、春休みを利用して友達とふたりでヨーロッパを一回りして来たのだ。
 当時はなにせ学生の身で貧乏旅行だったので、ロンドンの中心にあるビクトリアコーチステーションから夜行バスでドーバーまで行って、ドーバー海峡をフェリーで渡り、フランスのカレイというところまで12時間くらいかけて行ったのである。そのバスはどういうわけか喫煙が許されており、バスの中は始終煙が充満していてものすごい空気だったのを覚えている。おまけに早朝にバスを降ろされ、それから何時間か忘れたが決して近くない距離を電車でパリまで行き、いきあたりばったりで安い宿をとり、休む暇もなくふらふらしながら観光に出かけたのだった。つくづく、貧乏旅行は若くてタフでないと出来ないと昔を懐かしみながら、私は機上の人となっていた。
 当然だが、飛行機は早い。ほどなく飛行機はシャルル・ドゴール空港に到着し、タクシーでパリの中心地にある三ツ星ホテルへと向かう。
 「ボンジュール、マダーム」とこれまたハンサムなフランス人の男性にフロントで出迎えられ、でれっとしていると、またもユウヤが隣であきれていた。

 部屋に通され、とりあえずひと休み、と私がベッドの上でまぐろのように転がっていた間の事だった。セイフティーボックスをいじっていたユウヤは、誤って適当な暗証番号を登録してしまい、ロックしてしまったのだ。仕方がないのでフロントに電話して事情を説明すると、ホテルのスタッフは言った。
 「それは困りました… 2000フラン(約4万円)の弁償金をお支払いいただくことになりますね…。」
 「なんですってええええええええええええ!!!!」
 やがてホテルのスタッフが部屋にやってきた。しかし幸いなことに、中に何も入れていなかったということを話すと、弁償金は不問となった。結果として助かったが、私はユウヤを叱りつけた。しかし当の本人はへこたれず、テレビで魔法使いサリーちゃんを見ながら、
 「すげえ!サリーちゃんもカブも、三つ子までフランス語しゃべってるよ!」と感心していた。
 (このくそガキ……)
 私はもう怒る気力もなくしていた。

 翌日の朝、私たちは朝食をとりに階下のカフェに行った。ビュッフェスタイルであり、テーブルに通されたあとは好きなものをとりに行く。私はしたり顔でユウヤに言った。
 「好きなだけとっていいとはいえ、食べられる分だけとりなさいね。たくさんとりすぎて残すのはマナー違反で、とても恥ずかしいことなのよ。」
 しかし…。
 さすがリッチなホテルだけあって、朝食だというのにおいしそうな料理がこれでもかと並んでいて、いろとりどりのケーキまである。なにせ2週間のイギリス滞在のあとのフランスであり、元来食い意地の張っている私である。ついに理性がきかなくなり、無意識のうちに食べ物をお皿にてんこ盛りにしてしまった。結果… ユウヤに偉そうなことを言った張本人が、食べきれずに残してしまうという大人として許されない展開になってしまった。せめてもの心の救いは、彼もてんこ盛りにして食べきれずに残していたことであった。動けないほど満腹になり、かたや何も言わずにお皿に残っている食べ物をしばらく悲しい表情で見ていた私たちは、やがて逃げるようにしてその場を去った。そして、次の朝からはパンと飲み物だけのコンチネンタル・ブレックファーストをルームサービスで食べることにしたのだった。

 二泊三日のパリ滞在中に、ひととおりの観光コースを回った。エッフェル塔、凱旋門、シャンゼリゼ通り、モンマルトル、ベルサイユ宮殿、そして、他でもないお坊ちゃまのリクエストに答えて、ユーロディズニーランドへも行った。何が悲しくてパリまで来てディズニーランドに行かなくてはならないのかと思ったが、とにかくお坊ちゃまが中心の旅であり、私はあくまでもガイド兼付き添いのねえやである。お坊ちゃまに逆らうことは許されなかった。人さらいがうろうろしているからあそこは危ない、と嘘をつくには彼は成長しすぎていた。おまけに、ディズニーランドでもゲーセンのゲームがしたいなどとガキはぬかしおった。(しかし、ゲーセンはなかった。)ああ… 本当に子供の海外旅行はお金の無駄である…。
 ユーロディズニーが不振であるという評判を聞いていたわりには、いざ行ってみるとそこは外国人観光客で賑わっていた。主に、スペイン人などが目立っていた。しかし困ったことに彼らは列に並ばない。ひとつのアトラクションの順番待ちをするたびに、これでもかとずるこみする彼らに次第に腹が立ってきた。
 おまけに食事をしようとして入ったファーストフードの店では、天使のように可愛らしい顔をしたフランス人の若い女性の店員が、その笑顔とうらはらになんと憎たらしいこと…・散々人を待たせたあげく、注文したものと違うものを出してきて、違うから取り替えてくれと言うと、いきなり意地悪な魔女のような顔になり、私を睨み付けては挙句の果てに無視し、次の客のオーダーを聞くではないか。
 日本でも感じの悪い店員というのはいる。しかし、少なくとも国際的な観光地であるはずのディズニーランドでそういう態度が許されるのであろうか? まあしかし、お客様は神様というサービスに慣れ親しんだ日本人にとって、こういう体験はめずらしくもなんともない。
 延々待たされ、やっとのことで注文したものを買えた私は、去り際に笑顔で彼女に言った。
 「私はフランスが大好き。フランス人は全員好き。あなた以外は。オルボワール。」
 ちくしょう、なめられてたまるか。
 怒りのあまりにハンバーガーを丸のみしようとしていた私にユウヤはこともなげに言った。
 「おとななんだから、そんなことぐらいでいちいち怒らなくても…。コトブキお姉ちゃんは、怒りっぽいんじゃないの。」
 確かに私は外国で腹を立てることが多い。どういうわけだか、日本では我慢することでも、海外に出ると、なめられまいという気負いがそうさせるのか、いちいち怒ってけんかしてしまうのだ。しかし、それをよりによって小学生に諭され、私はうなだれるしかなかった。

 しかし不愉快な出来事は翌日も続いた。ホテルの部屋から、どういうわけか国際電話がかけられず、フロントに電話すると、今かけられるようにしますからもうしばらくお待ちください、と言う。そして待つこと1時間、催促してもしても、お待ちくださいと言うばかりであった。早くしないと日本は夜中になってしまう。毎日ユウヤの父親に電話することになっている。昨日かけられなかったので、今日こそはかけたかったのである。しまいに私がフロントまで降りて行き、強い口調で担当の女性に言うと、彼女は笑いながらフランス語で何かを言い返した。こちらがわからないと知った上で、である。私はこの上もなく腹を立てたが、もうこれ以上言っても無駄かもしれないと思い、結局あきらめたのだった。
 私は腹立ち紛れにユウヤに言った。
 「ディズニーランドの女も、ホテルの女も、私が美人だから意地悪してるにちがいないわ。」
 彼は冷静に言った。
 「うーん、ヨウコお姉ちゃん(私の姉)とかミカお姉ちゃん(私のいとこ)ならそういうこともあるかもしれないけど、コトブキお姉ちゃんはちがうと思うよ。」
 私はこいつをセーヌ河に突き落とさなかったことを後悔した。

 その日の晩、ユウヤは部屋のテレビを壊した。リモコンがうまくきかなかったので本体をいじっているうちに、電源を入れても画像が映らなくなってしまったのである。おまけにリモコンをクロゼットの向こう側に落として拾えなくなってしまった。次の日私たちがそのままチェックアウトしたのは言うまでもない。
 
 パリをあとにした私たちはTGVでジュネーブへと行った。ジュネーブに泊まったあとは、アルペンリゾートのグリンデルワルトをまわり、そして最後の訪問地チューリッヒから日本へと帰る予定である。ジュネーブから先は、私にとっても初めての場所ばかりだったので、期待に胸がときめいた。
 新幹線より速いというTGVは、さすがに快適であった。スイスを訪れるのも2度目であるが、やはりこの国は美しい。自然は豊かだし、人々は内気でもの静かだし、落ち着ける国である。
 やがてジュネーブに到着し、ホテルへチェックインしたあと、街へと繰り出し、スーパーで買い物をする。スイスといえばなんといってもチョコレートである。日本でも外国のチョコは買えるが、輸入物はなにしろ高い。私は興奮を押さえきれず、買い物かごが一杯になるほどチョコレートを買いまくった。まだスイス国内を移動するのだから、なにも今日そんなに買わなくても、という最もな意見を横から小学生に言われているにも拘わらず、私は聞こえないふりをして、チョコレートをわしづかみにしては籠の中に入れ続けた。

 その日の晩は、レマン湖でのディナークルーズに乗った。
 8月のハイシーズンにもかかわらず、ジュネーブの街もレマン湖のクルーズも思ったほど混んでいない。ほどなく船は湖を滑り出す。ライブのもの静かな音楽が流れ、ディナーがテーブルごとにサーブされる。やがて外の美しい景色に夕闇がせまる。ここはあこがれのレマン湖なのだ。今愛する人とふたりきりなら、どんなにロマンチックなひとときであろうか。しかし、目の前ではガキが口のまわりじゅうソースだらけにして魚のフライを口一杯にほおばっていた。

 すっかり暗くなってしまうと、デッキでは軽快な音楽が流れ、乗客たちは思い思いにカクテルなどを飲んでいる。その頃すでに私は出来あがっていた。そして、やおら踊り出してしまった。まわりでは誰も踊っていないが、そんなことはどうでもよかった。こうなると誰も私を止められないのだ。ユウヤは、お願いだからやめて、と私に懇願したが、私は聞かなかった。やがてあきらめた彼は、他人のふりをして離れたところで座っていた。そんなふうにして、夢のようなレマン湖クルーズの夜は更けていくのだった。

 次に訪れたグリンデルワルトは、ホテルの部屋からもアルプスの山々を一望に見渡せるすばらしい景観だった。テレビや写真では何度も見ていた雪に抱かれたアルプスの山々であるが、実際にこの目で見るとものすごい迫力で迫ってくるようである。関東平野育ちの私にとって、例えば神戸の市街から山を見渡すだけでも厳かな感動があるのに、アルプスともなるともはや息を飲むばかりであった。しかし、さすがに寒い。カーデガンをはおると、私はホテルのバルコニーで椅子に腰掛けて荘厳な山並みを見つめていた。
 と、そのとき。
カチャッという音に振り向くと、部屋の中にいたユウヤがガラス戸の鍵を閉め、あかんべーをしていた。
 (や、やられた!!!!)
 しばらくは平気な顔をして山を見つめていた私だったが、10分もすると寒さで手がかじかんできた。仕方なく、私はユウヤ様にお願いして部屋の中に入れていただいた。もはや彼は、私がキーキー怒ってもきかなくなっていたので、無駄なエネルギーを使うのはやめた。
 ユウヤは私が震えているのを見て、キャッキャッとうれしそうにはしゃいでいた。
 私は、将来結婚して男の子が生まれたら養子に出そうと決意した。

 夜ごはんを食べに、ホテルのレストランに入る。一番豪華そうで高そうなところを私は選んだ。
 ロンドンからユウヤとのふたり旅が始まってからというもの、私たちはかなり豪勢な食事をしている。何を食べようか、どこに入ろうか、と相談する時、彼は決まって、
 「なんでもいいよ、マクドナルドでも。」と言うのだった。しかし、ここまで来てディナーにファーストフードを食ってたまるものか。そして、私の一存で一流レストランに入り、高いものを次々注文する。子供のわりに意外とお金に細かいユウヤがときにためらうことがあると、
 「せっかくの旅行だからケチケチするんじゃないって、あんたのお父さんにきつく言われてるのよ!豪勢に行きましょう。おほほほほほほ。」
 と私は言うのだった。
 しかしその一方で、食事以外の出費はなるべく押さえていた。ロンドンのマーケットで、ただでさえ安い品物を、私がいちいち値切りながら、1ポンド(200円)のぬいぐるみやら50ペンス(100円)のテーブルクロスなどを自分の家族や甥姪へのおみやげとして買っていたのをユウヤは知っていた。
 レストランでメニューを見ていると、ユウヤがぼそっとつぶやいた。
 「コトブキお姉ちゃんはさあ、おみやげ買ったりするときはケチケチしてるくせに、食べるときだけは『あんたのお父さんがケチケチするなって言った』って言い訳して、散財するんだねえ。」
 的を得ていた。しかし、それがなんだ。私は開き直っていた。

 リッチなフランス料理をたいらげ、食後にデザートを注文すると、出てきたのはものすごいボリュームのアイスクリームサンデーだった。見た目の豪華さほどおいしい!というわけではなかったが、私たちはそれを全部食べた。すると、ホテルに帰ってきたあとで、私はやおらおなかが痛くなった。
 「うううう」とうなりながら青い顔でトイレにかけ込む。
 「コトブキお姉ちゃん、大丈夫?」ユウヤ様に心配されてしまった。
 「やっぱり、腹八部にしといたほうがよかったね。」
 私は黙っていた。
 次の日の朝、いつも通りユウヤは父親と母親に電話した。旅行の話を報告しながら、彼はうれしそうに言いつけた。
 「そうそう、コトブキお姉ちゃんねえ、昨日アイスクリーム食べ過ぎて、おなか壊したんだよ。」
 (よ、よけいな事を…・・!!!)
声の大きい一郎兄さんが大声で笑う声が、受話器の向こうから聞こえていた。

 次の日は朝から登山鉄道に乗ってユングフラウヨッホへ行った。今回の旅行のハイライトである。
 登山鉄道のチケットには親子割引がある、とガイドブックに出ていたのをあらかじめ読んでいたので、この子は私の息子です、と言い張った。しかし、窓口の人は顔をしかめている。そして、パスポートを持っているか、ときかれたので、今は持っていないと言うと、すげなく却下されてしまった。ちっ、と舌打ちをしながら普通運賃のチケットを買い電車に乗り込むと、ユウヤ様が言った。
 「なにも嘘ついてまでお金を節約しなくても…」
私は聞こえないふりをしてビスケットの袋を開け、バリバリ食べ始めた。
 電車は山の斜面を登っていく。上に登るに連れ気温がどんどん下がっていく。あらかじめ用意してきたセーターやジャンパーをリュックから出し、ユウヤに着せてから私も着た。やがて電車はトンネルの中を走り、しばらくすると頂上に着いた。展望台には休憩所やら、屋外に出て山並みを見渡せる場所もあり、私たちは熱いお茶を飲みながらしばしその景観に浸っていた。
 
 その日の夜は、ユウヤのリクエストで日本食のレストランに入った。食べ終わってホテルに帰る途中、アイスクリームパーラーが目に止まったので、入ろうと私が言うと、
 「大丈夫?やめといたほうがいいよ…。」とユウヤは言った。しかし、私は彼を羽交い締めにして無理やりパーラーに押し込み、昨日に引き続きこってりとしたアイスクリームパフェを食べた。
 ホテルの部屋に帰ると、またおなかが痛くなった。
 「うううう」トイレにかけ込む。ユウヤはもうあきれて心配してくれなかった。青い顔でトイレから出てくると、彼は持っていたノートに何かを書いていた。
 「少年が止めるのも聞かず、二日続けて巨大なパフェを食べ二日ともおなかをこわした懲りることを知らない女、猫河原寿28歳。」そして、新聞にして親戚中に配るのだと静かに言った。
 次の日私たちはチューリッヒへと移動し、一泊した翌日には3週間の旅を終え東京へと向かった。帰りの飛行機の中で思ったのは、この旅を通じて私たちはお互いに遠慮のないきょうだいのような親しい関係になったということだった。正直いって、子供が苦手な私にとって、小学生の男の子とのふたり旅なんてどうしよう、と最初は思っていたのだが、ある意味では女友達よりも気兼ねしないで済む相手であった。ユウヤはそんな私の思いを知ってか知らずか、頭を私の肩にもたれかけてぐっすりと寝ていた。眠っているときだけはかわいいのだ。

 やがて機内食が運ばれてきて、私は彼を起こした。テーブルの上に置かれた食事を食べようとしたとき、私はいきなりひどく熱いものを手の甲に感じた。見ると、熱湯消毒したてでまだ熱いスプーンを力任せに私の手に押しつけて不気味にほくそえむユウヤがいた。
 「きゃあああ」
思わずユウヤを突き飛ばしたが、スプーンのあとは手の甲に赤くなって残ってしまった。一瞬たりともこいつがかわいいなどと思って油断した私が甘かったと思った。そして、当然の報復として、一瞬のすきを見て彼のデザートを略奪して一口で丸飲みした。泣いて騒ぐユウヤを尻目に私はイライザのように高らかに笑い続けた。

 成田に着くと、私の家族とユウヤの父が迎えに来ていた。私は、今回の旅行のスポンサーとなってくれた一郎兄さんに丁重にお礼を言い、そしてユウヤを彼に引き渡した。なにせ無傷で連れて帰れたことにほっとした。
 こうして私のコブつき旅行は終わった。ユウヤのお守は想像以上に大変だったが、楽しかった。どっちが面倒見られてるのかわからない場面もあったけれど。そして、今回ユウヤが訪れた場所に、やがて彼が成長してまた訪れるときに、かつて私とふたりで繰り広げた珍道中を懐かしく思い出してくれればいいな、と思った。

 
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