- 声をかける勇気 -

 
 のっけから手前味噌で恐縮だが、私は電車の中でよく人に席を譲る。お年寄りや妊婦、あるいは赤ちゃんを抱いたお母さんやけがをした人など。だからなんだ、そんなの当たり前だ、と言われれば確かにその通り、当然の行為である。しかし、そういう人が目の前にいても席を譲らない人が多いのも事実である。と、ここで、今の若者は礼儀を知らない、とか(いえ、私もまだ若いつもりではいるんですけど)偉そうに言うと、新聞の投稿欄にいろんな批判をしては「70歳、無職」と締めくくっている本当に偉いお方みたいになってしまうのだが、そういうつもりはない。

 私は以前からずいぶん考えてみた。若い人、中年の人に限らず、何故みんな電車の中で席を譲らないのか。
 私は、「席を譲ることが可能であるにも拘わらず譲らない人たち」は大きく二通りに分けられると思う。まず一方は、本当は譲りたいのだが譲る勇気がない人。もう一方は、最初から他人に席を譲るという発想のない人。ここで私が問題にしたいのは、むしろ前者の方である。いえ、本当に問題のある人たちはもちろん後者のほうであるが、この際その人たちのことは置いておく。何故なら、前者の存在が後者にも影響を与えているからである。

 よく言われることだが日本人は文化的に他者との距離を置く傾向があり、知らない人に声をかけたりすることをためらいがちである。だから、人が大勢いる中で他人に声をかけることを躊躇するのだろう。例えそれが席を譲るという行為であっても。他人の目を気にして、同時に他人のとる行動を気にする。だから、しんと静まり返った混んだ電車の中で誰かが何か言うと、いっせいにみんなの注目を浴びる。

 同時にそれは、満員電車の中で痴漢行為にあってもなるべくなら抗議をせずにどうにか逃げようとする女性のリアクションにも現われていると思う。また、並んでいる列に誰かが横から入ってきたときに、腹を立ててもあえて注意せずに我慢してしまうというのもそうだろう。

 確かに知らない人に声をかけたり、席を譲ったりすると周囲の人たちに一瞬でも見られるような気がする。だから目立たないように、あえてそういうことをしないでいようというのが大方の人の席を譲らない理由だと私は信じている。そうでなければ、貧血でも起こしたのであろうか、混んだ電車の中でいきなりへたりこんでしまった若い女性に気づいていながら誰も声をかけない人たちの説明がつかない。彼らは、彼女たちは、実生活でもそれほど思いやりに欠けた、心ない人たちなのか? そうだとは思えない。もしも自分の知り合いがいきなり具合が悪くなれば、すぐに助けるにちがいない。

 しかし現実にはそういう場面によく直面する。外国人などに、日本人のそういう部分を冷たいなどと批判されるといやな気がするが、確かに文句は言えない。いくら私でも、自分は立っているのに、座っている人に向かって、あの人のために席を譲りなさいなどと偉そうに指示をすることは出来ない。そんなことは自発的にやるのが常識だと思うからである。

 マナーの問題、といえばそうかもしれないが、私たち日本人はそんなにマナーが悪いだろうか? そうとは思えない。やはり文化的背景に起因しているのだという気がしてならない。私たちのおくゆかしい、他人を思いやるはずの行動様式が、考えすぎ、気にしすぎにより逆のおかしな結果を生んでいるのだと思う。
 これを読んで、自分も席を譲る勇気がない、という方がもしいらしたら、みなさん、ぜひ勇気を出して席を譲りましょう。人として、他人にやさしくしましょう。少しずつ、みんながだんだん席を譲る習慣がついてくれば、他の人たちもあとに続きます。
 
 と、いつにないマナー広告のようになってしまって恐縮です。次回はもっと笑えるものを書きます。ごめんなさい…
 それでは皆様、よいお年を。来年もよろしくお願いします。

                                                                             猫河原寿

 
エッセイの、無断転載を禁止します。
すべての著作権は猫河原寿に帰属します。
このページはレンタルサーバ、ドメイン取得のWISNETが企画運営しています。


Copyright © 猫河原寿 All Rights Reserved.