- ライバル -

 
学生のとき同じ学年にエリカという子がいた。
中学から高校まで一貫教育の女子校で、一度も同じクラスにならなかったが、彼女のことは中学のときから知っていた。彼女はダンス部に所属していて、いつも仲間と行動している中でも目立った存在だったからだ。
私が合唱部の活動を終えてクラスに戻ったあと仲間と一緒に下校するときに、活動日が同じだったダンス部のグループと顔を合わせた。そして、どういうわけかダンス部と合唱部は仲が悪く、お互いに挨拶をすることもあまりなかった。

高校2年のときエリカはダンス部の部長に、そして私は合唱部の部長になった。
毎年10月に行われる文化祭。その中でも、講堂のステージで演技を披露する演劇部や合唱部、そしてダンス部などがもっぱら文化祭の花であった。そして、4月に新学期が始まると同時に各クラブでは文化祭の出し物の準備を始めるのである。
その年わが合唱部では、「くるみ割人形」を上演することになった。基本は合唱だが、主だった登場人物のソロをまじえて、ミュージカル仕立てにすれば見ているほうも楽しいだろうという企画だった。するとなんと、ダンス部も「くるみ割人形」に決めたらしく、演目がバッティングしてしまったのである。文化祭実行委員会としても、演劇部と演劇有志などのように同じ表現方法での演目バッティングならば他の出し物への変更を指示したところだが、なにしろミュージカルとダンスなので同じ演目でも容認する姿勢をとったのだ。ダンス部の言い分としては、彼女たちは前年度からすでに出し物を決めていたという。だから、後から真似したのは合唱部の方だ、とのことだった。しかし、こちらにしてみればそんなことは関係ない。というより、ダンス部の出し物の事なんて興味もなかったし、真似したとは自意識過剰以外の何者でもない、と言って無視した。
かくして、元から仲の悪かった合唱部とダンス部は、さらに火花を散らすことになったのである。そしてその火花の中心にいたのが私とエリカだった。

私は演出と合唱の指揮を担当。一方エリカは主役のクララ役だった。
ダンス部の部員には可愛い子が多く、みんな優雅なお嬢様的雰囲気があったが、エリカはそれに加えて、お高くつんとすましたイメージがあった。とにかく私は彼女が気に食わなかった。そして、廊下などで顔を合わせるたびにお互いに「きっ」とにらみ合った。部活のあとの下校や、寄り道したあんみつ屋でダンス部仲間と合唱部仲間がはちあわせする度に、お互いが何も言わずに無視してその場をやり過ごした。

10月の文化祭が近づいて舞台稽古もスタートしたある日のこと。私たちは昼休み返上で、講堂のステージの上で演技の練習していた。ダンス部もステージの下でラジカセの音楽に合わせて練習をしている。ふと、合唱部でもテープを聴いて参考にしたほうがよくないかという話になった。歌のほうは、最初から楽譜のみでピアノ伴奏に合わせて練習していた私たちだったが、一度も市販のテープは聴いていなかった。それに似せる必要はないのだが、確かに参考になるだろうと思われた。早速買いに行ったのだが、なんと数軒回った店ではどこも在庫がなく取り寄せになってしまったのだ。一方文化祭本番まであと10日間を切っている。こうなったら仕方ない、ダンス部に借りてダビングさせてもらうしかない…・
テープの所有者である、ダンス部の高一の部員と友達だといううちのクラブの部員が、その子に頼んで、一日だけという約束でどうにか借りてきた。そして、彼女が自宅でダビングしてくると言ったのでまかせることにした。
翌日の朝、彼女は青ざめた顔で私に言った。
「昨日のテープ、家に忘れて来ちゃったんです。」
(なんてことを…・)
彼女は続けた。
「友達のXXさんに話したら、彼女からはとても部長さんに言えないって言うんです。なにしろ、合唱部にテープを貸したのも先輩たちに内緒だったそうなので…・どうしたらいいでしょう…」
どこのクラブでも文化祭前は毎日練習をしている。それも、放課後のみならず、朝練、お昼休みと、寸暇を惜しんで。
取りに帰らせるわけにもいかず、こうなったらテープをこっそり借りたこと、そして今日持って来るのを忘れてしまったことを私からエリカに直接話して謝るしかなかった。ダンス部から借りて来いと言ったのは私だ。
エリカのクラスに入っていき、彼女をみつけた。そして、ただでさえ大嫌いで顔も合わせたくない彼女に頭を下げるために、私は近づいていった。
私の姿を見るなり、彼女はこちらをまっすぐに見た。
「実は、昨日おたくのテープを貸してもらったの。それで…今日持ってくるはずだったのだけど、部員が忘れてきちゃったらしいの…・」
エリカは表情ひとつ変えなかった。何も言わずにじっと私の顔を見ている。
「練習に使えなくてごめんなさい。明日必ず返すから。」
腕を組んだエリカはしばらく黙っていたあとにただひとこと言った。
「わかったわ。」
そのとき私たちは初めて口を聞いたのだった。と同時に、私にとってはライバルに頭を下げるという屈辱的な出来事だった。

文化祭一週間前にはパンフレットが配られ、生徒たちの感心はもっぱら講堂で披露される文化部の出し物のこととなった。さらに、もとから仲の悪い合唱部とダンス部が同じ出し物でかちあうというのも、誰もが知るところとなり、尚かつ部長同士が犬猿の仲と言う噂も手伝い全校生徒の話題を呼んだ。

そして迎えた当日。ついに本番を迎え、スタンバイしたところで幕が開く。満員の客席に思わず頬がほてる。次の瞬間目に入ったのは、最前列に陣取る、エリカをはじめとしたダンス部のそうそうたるメンバーだった。
負けるものか。
そして舞台は大盛況に終わった。
私たちもダンス部の舞台を見た。こちらも満席だ。エリカの踊りはみごとだった。

文化祭も終わり、数日後には新聞部より発行された学校新聞で文化祭のアンケートの結果が発表された。生徒や外部からの訪問客の人気投票では、合唱部のくるみ割人形が1位にランクされていた。ダンス部は演劇部に続いて3位。私は部員たちと手をとりあって喜び、打ち上げをした。私は、宿敵エリカに勝った、と思った。テープの件の屈辱もこれで払拭されたと。

それから5年ほど年月が過ぎた。
私は付属の短大を出た後保険会社に就職してOL生活を送っていた。
私立の女子校を中学から短大まで進んだぬるま湯育ちの私にとって、会社生活は大きなカルチャーショックを与えた。同じような家庭環境に育ち、同じようなバックグラウンドを持ち、エスカレーター式で大学でも短大でも行ける環境の中、勉強に追い立てられることもまわりと競争することもなく、ただ健やかにのほほんと育ってきた私たち。
社会に出て、それが普通ではなかったのだと気がついた今では、学生時代はひたすらよき時代であり、同じ学校の同級生というだけで、無条件に誰もがなつかしく、誰もが親友に思えた。

そんなある日ふと、帰宅途中の雑踏の中で誰かに声をかけられた。
「ミッコ」
見ると、それはエリカだった。
「あ」
エリカは笑顔で私の目の前に立っていた。高校卒業後は某私大に行ったということだけ聞いていたが、ずいぶんと表情がやわらいでいたので別人のように見えた。
「元気…・なの?」
「うん。ミッコは? 短大行ったんだよね、たしか」
「うん。去年からXX生命に勤めてるの。エリカはOO大学だったよね、たしか」
「うん。来年就職なんだ。」
思わず、「よかったらお茶でも」と誘ってみようかな、と思ったが、あえてそれはしなかった。お茶を飲んで昔話に花を咲かせるほど私たちは親しい間柄ではなかったし、共通の友達もいなかったふたりにはそれ以上話題もなく、じゃあね、と言って別れた。

電車の中で、思った。
私は彼女のなにがそんなに嫌いだったのだろう。
考えてみれば、学校で一緒だったとき彼女と言葉を交わしたのは、たったの1度きりだった。
他でもない、例のテープ事件のとき。後にも先にも、それだけだった。
ましてや、彼女から名前を呼ばれたのは今日が初めてだった。そう、私たちは、まともに話をすることもなければ名前を呼び合うこともないまま、はっきりした理由もなく、お互いにいがみあっていたのだ。
クラブ活動で目立っていた私たちは、お互いの存在をよく知っていた、というより、過剰に意識し合っていた。六年間同じ学校に通い、同じクラスになったこともなく、言葉を交わすこともなく、お互いに相手を知る機会もないまま、ただ私たちはいがみあっていた。

いや…・もしかしたら、私が思っていたほど彼女は私のことを嫌っていなかったのかもしれない。私に声をかけてきたときの彼女の懐かしそうな、はにかんだ顔を思い出してそう思った。たしかに、私たちはけんかをしたこともなかったし、もともと嫌い合う理由は何もなかったのだ。
むしろ、今から振り返ってみると、彼女は一時期私にとって特別な(近い)存在であったようにも思えた。
社会に出てから思えば平和な日々だったが、高校生のときはそれなりに、クラブ活動で中一から高ニまでの部員をまとめて、部長としてひっぱっていくのは大変なことであったし、苦労もトラブルもあった。仲のよかった演劇部の部長や吹奏楽部の部長とはよくそんなことを話したっけ。けれども、口を聞くこともなかった彼女こそが、どういうわけか心のどこかで一番近いところにいたような気さえしていた。
しかし、同じクラスにもならず、共通の友達もいなかった彼女とは、これから先、クラス会や誰かの結婚式があっても、多分会う機会はないだろう。そして、もう二度と会うことはないかもしれない。
そう思ったとたんに、私はひどく残念な、淋しい気持ちになった。


 
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