- 何はなくともお正月 -

 
楽しいイベントやレジャーに事欠かない今日、「盆と正月が一緒に来たような」なんて表現はあまり聞かなくなったけれど、日本人の私にとってお正月がどんなに重要なものだったか思い知らされたことがある。

あれはもう10年前、イギリスの片田舎に語学留学をしていた時のこと。クリスマスが過ぎて、年末が近づくにつれどうも落ちつかなくなってきた。
あちらでは最大の年末行事であるクリスマスが終わると、人々はただひたすらのんびりと冬休みを過ごすだけである。日本だったら、12月25日を過ぎたとたんにクリスマスの余韻にひたる暇もなく慌しい年の瀬、そして年が明けるとこの時ばかりは誰もが正真正銘の(?)日本人に戻り、初日の出をおがみながらおごそかな気持ちで志を新たにするのだ。

学校はすでに冬休み。秋の学期もクリスマス前には終わり、語学学校の友達はみな国に帰ってしまった。遊ぶ人もなく、やることもない。
まわりを見ても、何も年末らしくない。大掃除をしだす人もいないし、マーケットも賑わわないし、しめ飾りは売ってないし、(当たり前か)「今年の10大ニュース」とか「流行語大賞」とかで一年を振り返りながらいやに急き立てられるようなあの感じもないし、「せわしない師走、年の瀬」といった日本でのあの雰囲気はどこにもない。誰もが普通にいつもと変わらずにのんびりと過ごしている。
おい! もうすぐ今年は終わるんだぞ!! 大掃除せんかい! 正月の支度をせんかい!私は近所の家々を一件ずつ訪ねてはそう忠告したい気分だった。

とにかく、どうも手持ち無沙汰だ。ステイ先のせまい自分の部屋を大掃除したりするが、しょせん仮の宿、荷物も少ないし、10分で終わってしまう。
そして大晦日の夜がやってきた。ロンドンみたいな都会なら新年へのカウントダウンとかで人々が賑わうのだろうけど、なにせ都心から電車で3時間もかかる、退職後の老人夫婦が多く住む海辺の田舎町ではそんなものがあるはずもない。ホストファミリー夫妻は、いつものように居間でテレビを見ている。日本にいれば、母が作る煮物やおせち料理をつまみ食いして小言を言われたりしながらも、コタツで紅白でも見て歌手の衣装にケチをつけたりしている頃だ。―――― いや、ちがう。時差があるから、もう日本ではとっくに年が明けているんだ! などとわけのわからない焦りともどかしさを感じているうちに、ついに年が明けた。当然除夜の鐘はなかった。

イギリスで迎えた元旦の朝、私はいつものようにトーストとミルクティーを飲み、ぶらぶら出かけていった。近所の教会に初詣に行くわけにもいかず、ただ散歩する。昼過ぎになっていつもの店でフィッシュ・アンド・チップスを食べ、ひとりため息をついた。
「むなしい…。」

お雑煮もきんとんも、琴の音も年賀状もない新年。「お正月なし」の新年がこれほど淋しいとは思わなかった。今でも、あの年のお正月をスキップしてしまったことをもったいないと思っている。

                                                                                                    2002年1月


 
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