- 中国人のハウスメイト -

 
イギリスに語学留学した時に私が滞在した場所は、ロンドンから電車で2時間半かかる、静かな海辺の町だった。
ホームステイ先にはトニーという中国人の男の子がいた。
彼は私よりも1ヶ月先にイギリスに来ていて、私と同じ語学学校に通っていた。
23歳で、大学を卒業したばかりだという。北京出身で、お父さんが医者だと言っていたので、エリート階級の人だろうと思った。
なにしろ私にとっては初めて友達になった外国人だったので、仲良くなりたいと思っていろんな話をした。
彼はやさしい笑顔が印象的で、右も左もわからない私に学校のことやら生活面のことやらいろいろ親切に教えてくれた。
私の英語が下手くそだったせいもあり、よく筆談した。リビングで漢字を書いて意志の疎通をはかっていた私たちをステイ先のファミリーは肩をすくめて見ていたけれど。
私が驚いたのは、彼がビートルズさえ知らないことだった。それはなんだ? と聞かれて、共産圏に欧米文化の情報が入りづらい事を改めて実感した。

彼は夕食のあと、決まってリビングのテレビで映画を見ていた。
ステイ先のランドレディーは口うるさい人で、彼が遅くまでテレビを見るのが気に入らず、しょっちゅう文句を言っていた。電気代がかかる、というのと、留学生は夜はパブに行って友達と会話の練習をするべきだ、というのが理由だった。
しかしトニーは耳を貸さず、毎晩のように映画を見ていた。
駄作だろうがなんだろうが真剣に見ていた。
その姿は、映画が好きだから見たいというよりも、貪欲に欧米の文化を吸収しようという気迫さえ感じられた。

トニーにはどこかに翳りのようなものがあった。
そして、どういうわけか厭世的ともとれるところさえあった。
語学学校の生徒は平日でも毎晩のようにパブに行っては仲間たちとおしゃべりを楽しんでいたが、彼は決して行こうとしなかった。
どうして行かないの? と聞くと、
くだらない。時間の無駄だ。 とにべもなく答えた。
ときたま夜に外出するときもあったけれど、いつも同じ町にあるチャイニーズ・テイクアウェイに勤める中国人の友達と会っていた。

ステイ先では、中国からトニーあての電話が頻繁に来ていた。
なにせ中国語だから何を話しているのかさっぱりわからなかったけれど、(彼の中国語は英語よりもはるかに攻撃的に聞こえた)ご両親からにしてはずいぶん心配性なのだなあ、などと思っていた。

ランドレディーは相変わらず口うるさかった。
悪い人ではないのだけれど、学生に干渉しすぎるのだ。
テレビは8時まででやめろ。
虫が来るから部屋でお菓子は食べるな。
―― いや、ここまではよしとしよう。しかし、
学生は毎晩必ずパブに行け。
冷たくなった紅茶はおなかを壊すから飲むな。
昼寝をしたらいけない。
学校が主催する行事にはすべて参加しなくてはいけない。
これらを “You must” あるいは “You mustn’t” という言い方で、いきりたってキーキーわめきたてるのである。
さすがに「どこの国の人よりも従順な日本人」である私でさえもこれには閉口した。

トニーはついにステイ先を出てフラットに移ることにした。
そして笑いながら私に言った。
「僕がここにいるのはイギリスや欧米の文化を知りたいからなんだ。
テレビで映画が見られないなら、意味がないじゃないか。」
中国で欧米の映画を見られないのはわかったが、彼は何故そんなに映画に固執するのだろう。
語学学校にはヨーロッパの他の国々からもたくさん留学生が来ている。メキシコから来てる人もいた。彼らともっと積極的に友達になって親交を深めるのも欧米文化を知るいい機会なのに。
彼は社交的ではなかったけれど特別にシャイというわけでもなかったし、自分の意見ははっきり言うタイプだ。人付き合いが煩わしいのだろうか? いや、そうとも思えなかった。ハウスメイトである私の部屋のドアをしょっちゅうノックして来ては、他愛のない話などをよくしたものだ。そういうときの彼はとても人なつこい感じがした。彼の英語はすごくうまかった。ビギナークラスの私なんかと話すより、もっと上級者の学生とたくさん話したほうが楽しいだろうに。
彼はまるで、新しい友達を作るのを避けているかのようにも見えた。

そしてトニーは家を出ていったが、学校にはまだ通っていたのでそのあとも彼と顔を合わせた。
あと一ヶ月後にはこの町を離れてロンドンに行き、友達と一緒に住むのだと言う。
私は彼宛に中国から来る手紙をいつも学校で渡してあげていた。
しかし、彼宛に来るのは手紙だけではなかった。今まで以上に頻繁に彼宛の電話が来るようになったのだ。
ステイ先のランドレディーもランドロードも、毎回決まって
「トニーはもうここにはいません。」と言うのだが、それでもまたかかってくる。
困惑した彼らは学校に連絡し、
「滞在先が変わったことを中国にちゃんと連絡するように、トニーに伝えてください」と頼んだが、それでも彼宛の電話はなくならなかった。
私が学校で彼にそれを伝えても、
「ちゃんと言ってあるからもうかかってこないはずだ」と言われるだけだった。

やがて学校にジョンというもうひとりの中国人がやってきた。
彼はおだやかな人で、中国では学校の先生をしていたという。
彼の場合は学校に中国から電話が毎日来た。
どうやら所在確認らしい、と誰かが言っていた。
ジョンとトニーは、よくふたりで週末にロンドンに行っていた。

そんな折、イタリア人のクラスメートから頼まれごとをした。
ロンドンまでのバスのチケットを買いたいのだが、自分は短期留学で学生カードがないから割引を受けられない。君のカードで、僕のかわりに買ってくれないだろうか? お金はもちろん払うから。
私はそれを引き受けて、買ってあげることにした。
割引チケットを買うには、旅行代理店で写真付の学生カードを提示し、フォームに名前やら住所やらあれこれ書かなくてはいけないので少し時間がかかる。
私がそれを提出してチケットの発行を待っていると、トニーがやってきた。
「やあ、どこか行くのかい?」
「うん、ロンドンにね。」
すると彼が言った。
「あれ? 君は明日、学校のエクスカーションでカンタベリーに行くといわなかったかい?」
代理店のスタッフはチケット発行の手配をとりながらなにげに私たちの会話を聞いている。
適当に話を合わせればよかったのに、動転した私は思わず低い声で彼にささやいた。
「私に話しかけないでちょうだい」
彼は一瞬びっくりしたような顔をしていたが、やがて自分の用事をしに隣のカウンターに移っていった。
そして、私がチケットを買い終えたときにはもういなかった。
今度会ったら事情を説明して謝らなくちゃ。
そう思っていた。

しかし、次の日からトニーは学校に来なくなってしまった。
彼がホームステイ先を出て行ってからもう1か月以上経つというのに、相変わらず中国からトニーあての電話やら手紙やらが来ていた。
ついにホストファミリーは怒り出して、学校に激しい苦情を訴えた。
学校側も困り果て、電話のない彼のフラットに訪ねるしかなかった。
しかし、彼はもうそこにはいなかった。
ジョンにたずねてみても、トニーの居場所はわからないと答えるだけだった。

それからすぐのこと。
ジョンも学校に来なくなってしまった。
トニーと同じで、あと一ヶ月以上も授業料を納めてあるというのに。
そして、彼もやはりフラットを出ていったあとだった。
学校へは相変わらずジョン宛の電話が来ていた。

その晩の夕飯は大変だった。
ランドレディーはもともとヒステリックなところがある人だったが、さらにキーキー怒鳴りたてていた。

彼らは天安門事件に関わっていたにちがいないわ。(かの事件は2年前に起きていた。)
もうこれから中国人の学生はうちではねらい下げよ!!

いやはや、これまた彼女らしい短絡的なセリフだな、と私は苦笑した。
日本での鯨の捕獲をめぐって「世界の恥」というタイトルの記事が新聞(もちろんあまり教養のない人が読むタブロイド誌)に掲載されたときには、私もディナーの席でいきなり「あなた!これを読んでみなさい!」とたたきつけられたのだから。
日本における捕鯨の是非はさておき、彼が天安門事件に関連する反体制派であるならば、(それが本当ならば、だけど)我々民主主義社会の人間としては、彼らの逃亡に協力するしないは別としても、ある程度理解を示してあげるべきなのではないか? そんなことを考えながら、私はだまってスープを飲んでいた。

その後彼らの消息はわからずじまいだった。
やはりロンドンに移って行方をくらましたのだろう。逐一彼らの所在確認をしていた人たちあるいは機関から。

私は旅行代理店で彼にあんなことを言ってしまったことをひどく悔やんだ。
まさかあれが最後になるなんて思わなかった。
誤解を解くチャンスもなく、彼は姿を消してしまったのだ。
あのとき彼はロンドンに行くシングルチケットを買うところだったのかもしれない。
もちろんそんなことは私になど言わなかっただろうけれど。

イギリス滞在が半年過ぎたところで私もロンドンの学校へ移ったが、当然あの大都市で彼と偶然再会するはずもなかった。
あれからどうしているのだろう。
どこかで元気で暮らしていればいいのだけれど。
――― あの誤解さえなかったら。
そう思うと、彼を思い出すたびいまだに胸がちくりと痛むのである。

                                                                                         2002年3月

 
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