- 風の噂 -

 
古くからの友人に、久しぶりに連絡をとる機会があった。
ユミコは私がかつて勤めていた生保会社の同僚で、結婚後もまだその会社に勤めている。
会話の中で、当時一緒に働いていた他の人たちの「その後」についての話題になったとき、ふと思い出したように彼女がいった。
「あ、そうそう、田村さんていたじゃない? 彼、子会社のA社に出向になったんだって。」
「ええ??本当?」
数ある子会社の中でも、A社に出向ということは、思いきり左遷である。
ユミコは続ける。
「ほら、田村さんて、あの頃からあんな感じだったじゃない? 最近でもかなり評判が悪かったのよね。」
黙って聞いていたけれど、かなりショックだった。
田村さんは、私が新人のときにかわいがってくれた上司だったのだ。

生保会社に入社してすぐ、私は支社の中の営業所の内勤として配属された。
そこにいる内勤は、工藤さんという30代の女性の先輩ひとりと新人の私だけ。
年が近い人もいず、営業職員のコワそうなおばさんたちの中で不安だった。
工藤さんは、子供を保育園に預けているので定時に帰らなくてはならず、日中はしゃかりきになって仕事をする。
そのため、新人の私の面倒を見るどころではなかったのだろう、あまり親切に仕事を教えてはくれなかった。
どうしてもわからないときは聞くのだが、
「事務提要を見てください。」
と分厚い事務マニュアルを渡されてしまうことが多かった。
何もかも初めてのことなのにマニュアルを見てわかるわけがない。そんな感じで、私は定時になっても仕事が終わらずにひとりで残業をすることが多かった。
営業職員さんに事務のことを聞かれても答えられないことが多いし、まちがえてひどく叱られることもたびたびあった。
ある日いつものようにひとりで残っていると、営業所の支部長である田村さんが私に話しかけてきた。
「ひとりで大丈夫か? いつも遅いじゃないか。工藤さんは手伝ってくれないのか?」
「大丈夫です…私が仕事をなかなか覚えられないからいけないんです。」
すると田村さんは大きな声で言った。
「まだ入社して1ヶ月じゃないか!そんなにすぐに覚えられるわけがないだろう? 明日工藤さんに俺から言っといてやる。」
だまってうなだれる私に向かって、彼は言った。
「…そうか、ふたりきりだもんな。言いつけたと思われても困るもんな。わかったよ。まあ、無理はするなよ。で、腹減っただろう、めしでも食いに行くか。」
途方に暮れていた私は救われるような気がした。田村さんとふたりで、会社のそばの居酒屋に行く。
「君もさ、まだ若いのに営業所の内勤で、コワいおばさんたちはいるわで、大変だと思うよ。でも、慣れるまでの辛抱だからさ。がんばれよ。」
なんだか目がウルウルしてしまったのを覚えている。

それからというもの、田村さんは何かというと私を気遣ってくれた。営業職員さんと支社の本部との間で板ばさみになって困ったときは、間に立って話を聞いてくれた。意地悪な先輩から泣かされたときは、支社の事務長に怒鳴り込んでいった。私としては、そういうことをされると返って困った立場になる場合もあったのだが、彼はいつも私のことをかばってくれて、他に誰も味方のいない私にとっては本当に心強い存在だった。

営業所の支部長にはもともと内勤として採用された人と外勤あがりの人と二通りいる。内勤の男性の多くは20代のうちから営業訓練を受け、その後営業所の支部長として現場に出される。そこで成功すれば営業コースへと進み、だめなら事務畑に戻される。
田村さんはもともと内勤だったが、根っから営業向きの人だった。
「事務はいやだ、事務には戻りたくねえ。」と口癖のように言っていたものだ。
成績はいつも良かったし、営業の仕事が楽しくてしょうがないといった感じだった。

一方、彼はかなり強引なやり口で、支社の人たちには反感を買っていた。営業所としての主張が強すぎて、事務の都合を無視するからだ。支社にいる私の同僚の内勤たちも、彼のことをよく言わない人たちが多かった。

保険会社の営業職員というのは、よく知られているようにきつい仕事である。
給料は歩合制だし、毎月のノルマをこなしていかなくてはいけない。契約がとれないと、家族、親戚あるいは友達に頭を下げて契約してもらう。
だから、入ってきては辞め、入ってきては辞め、と入れ替わりが激しい。
しかし、一部の優績者といわれる人たちは鬼のように稼ぐ。そういう人たちは別格で、普通の職員なら通らないわがままも通る。何しろ稼ぎ手なのだから、支社長でも頭が上がらない部分がある。しかし、実は営業職員さんたちを見下している内勤も多い。
営業所の支部長だって、部下の職員に対して飴とムチをうまく使って契約をとってこさせることしか考えてない人が少なくない。実際に職員さんたちの身になって、親身に応援してあげる支部長がどれだけいたことか。

そんな中で、田村さんは部下である職員さんたちひとりひとりを大事にしていた。
誰とも協調することのない、偏屈で変わり者の職員さんでさえ、田村さんの言うことは素直に聞いた。
しかし、そんな田村さんでもうまくいかない職員さんがいた。
安田さんという50代後半の人は、営業所きっての優績者だった。
そして、支社一番の「わがままでいやなおばさん」として知られていた。
彼女は、若造で生意気な田村さんのことが気に入らず、何かというと食って掛かるのだ。しかし、あるときのこと。
心臓の悪い安田さんは、会社の廊下で倒れた。
救急車で病院に運ばれた後、医者は、1週間ほど入院して安静にしていれば大丈夫ですと言った。
田村さんは安田さんの親族に連絡したが、独身でひとり暮らしの安田さんは、日頃からきょうだいや親戚とのつきあいもなかったようで、誰もお見舞いに来ない。
おまけに、人間嫌いな安田さんは、会社の人たちにも来ないでくれというのだった。
それでも田村さんはお見舞いに行った。
安田さんは、
「あんたなんかに来てもらったら治るものも治らないよ! もう来ないでちょうだい。」
と怒鳴って田村さんを追い返した。
それでも彼はあきらめず、次の日また病院に行った。
「あんた、また来たの? 来るなって言ったじゃないの!」
と安田さんにいやがられても、彼はあくる日もあくる日もお見舞いに通った。
やがて安田さんは退院し、会社に戻ってきた。
田村さんへの態度は相変わらず「ふん」といった感じだったが、それでも前のとげとげしさはなくなっていた。
営業所内で仲のいい人もいず、会社の集まりには一度も出たことのなかった安田さんだったが、田村さんが転勤になったときの送別会には初めて出席した。

それから8年後に私は退職した。
本社の営業支援部門にいた田村さんは、私の送別会に来てくれた。
そして、留学がんばれよ、と励ましてくれた。

さらに数年たち、田村さんは営業畑で順調に出世していった。
大きな支社の次長を務めるまでになり、私は陰ながら応援していたのだった。

それなのに。
次は支社長になってもおかしくないような出世ぶりだったのに、彼は子会社に出向させられたのだ。
評判がよくない、という理由はわからないわけではない。いや、よくわかる。
たしかに彼は敵を作りやすいタイプである。
自分の部下や自分のまわりを大事にしすぎて、まわりを見失うことがある。
強引で目上の人に対しても意見をはっきり言うし、生意気なことこの上ない。
だけど、彼は人一倍まじめで正義感が強い人だった。
部下の営業職員が、ノルマを達成するために自腹を切ってありもしない契約を作成したときには思いきり叱った。(それを暗に要求する支部長だっていたのに。)
権力に迎合せず、弱者にやさしく、人一倍人間臭かった。

だけど、彼は失墜したのだ。

出世コースからはずれただけでなく、今までとは全く畑のちがう子会社に出向。
戻ってこられるのかどうかもわからない。
私は会社ってなんだろうな、としばらく考えた。

企業の中で出世するには、業績を上げるだけでなく、当然上司に気に入られなければいけないのだろう。
ある程度出世したら、今度は派閥もあるだろうし、うまく立ちまわる必要があるのだろう。
仕事を一生懸命やったからといって、部下を大事にしたからといって、そんなことは評価されない。結果を出した上で、なるべくなら敵を作らず、さらに偉い人に気に入られなくてはいけないのだろう。
そんなことを考えてむしょうに淋しい気持ちになった。

会社の中での成功だけではない。
ユミコも、田村さんに対して良い印象を持っていなかった。
単純に、私とユミコの彼に対する評価のちがいだけで考えてみると、相性とか好き嫌いなどよりも、彼との接し方にちがいがあったからだ。
ユミコは彼に対して強引で横柄な人、という印象しかないのだという。それは単に、彼の近くで働いたことがなかったからだ。

私はたまたま、新人で苦労をしていたときに彼に助けられた。そして、彼が部下の営業職員にどのように接するかを目の当たりに見た。
上に媚びることもなく、弱い立場の人に対して彼がどれだけやさしかったか、暖かい人だったかを知っていた。

彼女は「田村さんは会社で評判が悪い」とさえ言ったけれど、実際彼と近い立場で働いた人は彼を悪く言う人はいなかった。

人間のつきあいというのは、立場とタイミングが違えばうまくいくものもいかなくなったりするし、その逆もある。
例えば、普通の友達として出会ったなら仲良くなれる相手でも、職場の同僚だったらうまくいかないということもあるだろう。
どんなに有能で人徳がある上司でも、自分より年下なばかりにどうも気に入らないということもあるだろう。
出会いというのは縁だが、出会い方というものもやはり縁なのだろう。

田村さんは今どうしているんだろう。
勤め先の場所は、私の会社からそう遠くない。
何年も会っていないけれど、もう一度会いたいと思う。
でも、しばらく待ってみることにしよう。
いつか、彼に関する良い話を風が運んで来てくれるまで。

 2002年5月

 
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