- Uターン引越し -

 
私は東京の下町で生まれ育った。
貨物列車の通る町。
何本もの線路が連なり、それぞれがひととき重なってはまた離れてそれぞれの方向へと進んでいく。
幼い私はそれを眺めながら、その先には何があるのだろうと思いをはせた。
狭い地域が世界である子供にとって、線路の行く先は「知らない場所」であり、「知らない行き先」であり、人生の「未来」そのものを指し示すような暗示的な風景だった。

町なかには都電が走っていた。
近所には駄菓子屋やらもんじゃ焼きの店、紙芝居の来る公園などが子供たちの社交場となっていた。
家にお風呂がなかったから、銭湯に通った。
母と姉と3人で洗い桶をかかえて行く。
風呂上りのヤクルトが楽しみだった。
冬の日は寒くて行くのがいやだったけど、帰りに屋台のおでんを買ってもらえるのがうれしかった。

その町には小学校3年まで住んでいた。
下町情緒があるという言い方もあるのかもしれないけど、町工場などが点在し、どちらかというとごみごみした感じのところだったと思う。
私の家もその「町工場」のひとつだった。家の二階が住まい、一階が工場で、建築資材の金物をプレス加工してメッキをかけていた。
昼間はいつもガチャンガチャンという音がひっきりなしに聞こえ、工場はいつも鉄のにおいがした。

私立の中学に入ってから友達の家に遊びに行く機会が幾度となくあった。
山の手の閑静な高級住宅地に建つお屋敷のような一軒家だったり、モダンなマンションだったり。
あるとき、前は銭湯に通っていたと言ったら友達に笑われた。
それからというもの、生まれ育った環境に少なからずコンプレックスを感じるようになった。

あれから歳月が過ぎ―

この4月に引越しをした。
生まれ育った場所を離れて30年の歳月を経た今、そこのほんの隣町へと越してきたのである。
慣れ親しんだ千葉県の家よりも通勤に近い場所を選んだ結果、生まれた町に戻ってくることになったのだ。

地図を頼りに生家のあった場所へと歩いてみる。全く変わってしまった風景の中にもどことなく残る面影。家々や商店をながめながらゆっくりと歩く。住宅地の中には相変わらず板金屋だの家内工業を営んでいる家だの町工場などが点在する。
そんな風景すら懐かしく思え、胸がいっぱいになる。と同時にもどかしさを感じる。「懐かしい」という言葉の普遍的な意味は誰もが理解しているが、その感情そのものを人に伝える術はない。

美しい自然とか田んぼとか畑とか、そんなものがひとつもなかった場所で生まれた私にとって、ふるさとと呼べるものなんかない、と思っていたけれど、それはちがっていた。そこは、紛れもなく私の人生が始まった場所であり、ふるさとだった。

週末になるたび、あちこち散策してみる。
こんなに川が多かったのかと思う。
家のそばには公園や池などがあり、緑にあふれている。
昔のイメージとはちがっている。あれからずいぶん変わったものだ。
駅に続く道は背の高い木々が連なる並木道で、足元では色とりどりの花が通る者の目を楽しませる。
その並木道は、以前都電が走っていた道のあとに出来たものだとあとから知った。
今は昔の都電。
ピアノのおけいこに行くときはいつも都電に乗って行ったっけ。
その線路あとが、今は緑に覆われて住民の憩の場となっている。

家の前の大通りを少し歩くと、踏切がある。
子供の頃ながめていた貨物列車がときどき通るとき、あの風景の記憶が蘇る。

この地域には今やマンションが次々と建てられ、人口が急激に増えているという。
私もそんな風によそからやってきた人たちのひとりだけれど、それでもやっぱりほんの少しだけ、「帰ってきたのだ」という意識がある。

近所に銭湯をみつけた。
ある晩、懐かしさに胸を躍らせておそるおそる行ってみる。
がらっ、と女湯の引き戸を開ける。
(うわあ)
番台にはやっぱり男の人が。
(昔は平気だったんだけど。)
(でも、あのときは子供だったし。)
(しょうがない。慣れだ、慣れ。)
しばし躊躇したあと、意を決して中に入る。
湯船の上の壁を飾る絵が懐かしい。
海に浮かぶ小舟、そして遠くにそびえる富士山というのが定番だ。
「日替わり風呂」というのが片隅にある。
その日はアロエ風呂だった。
子供みたいに、うれしそうにあちこちに入ってみる。
ゆっくりお風呂につかったあと、洋服を着て帰り支度をする。
他の人たちはみな地元の顔見知りらしく、裸のまま談笑している。おそらく古くからこの地域に住んでいる人たちだろう。
よそものの私は黙々と着替える。
でも、自分でも意外な事が。
帰りがけに、ふと口をついて出た。
「お先に。おやすみなさい。」
その場にいあわせた人たちが、「おやすみなさい」といっせいに笑顔で返してくれる。
そうだ、昔いつもお風呂屋さんで母がまわりの人たちにそう言ってたから、一緒に言っていた。
そんな下町の小さな習慣を覚えていた。
今ではめったに知らない人に話し掛けたりしないのに。
なんだか少しおかしかった。

Uターン引っ越しをしてから3ヶ月。
今でも新しい発見をしては小さな感動に浸っている私である。


 2002年7月

 
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