- 「負け犬の遠吠え」を読んで -

 
巷では、昨年秋に出版された酒井順子さん著のエッセイ「負け犬の遠吠え」が数々のメディアに取り上げられて話題を呼んでいる。
酒井さんいわく、独身のまま30代になってしまった女性は「負け犬」なのだそうだ。
かくいう酒井さんご自身も「負け犬」であるからして、負け犬の立場から見た世間からのプレッシャー、苦しみ、「勝ち犬」(既婚女性)との終わりのない闘いなどなどについて、まったく非の打ち所のない的確な分析と論評が展開されている。
これを読んでううむ、とうなってしまった私は、つい先ごろ長い負け犬生活にピリオドを打ち、「勝ち犬」へ転向するまでは、どこから見ても立派な負け犬、それもかなり年季が入って悟りも開けた殿堂入り負け犬であった。
よって、負け犬文化についてはかなり敏感ににおいを嗅ぎ付ける能力が備わっている。

それにしても、あらためて考えてみると。
「30代を過ぎて独身の女性は負け犬である」
まずこの定義からして、かなりスゴイ。
いやしかし、これは確かに的を得ていると思う。
何故なら、今までも誰もがそう思っていたけれど、あえて口にはしなかった、「すべての人が言葉に出さずとも腹の中では思っている、共通する認識」ではなかったか。
かくいう酒井さんも、どこかの新聞のコラムでおっしゃっていた。
彼女がこの本で言いたかったことは、世の中の負け犬たちに、自分たちが負け犬だと認識して欲しかったのだそうだ。要は、いくらキャリアウーマンでも、年収が高くても、趣味が多くても、しょせんそのような言い訳は負け惜しみに過ぎなくて、結局は負け犬の遠吠えだということのようだ。
ううむ、確かに。
おそらくは、世の負け犬…独身30代40代の女性たちの中で、同性愛者を除いては、
「結婚なんか絶対すまい。」という固い意思に従って独身を貫いている人たちは、いたとしても本の一握り、あるいはほとんどいないんじゃないか。
それでも、酒井さんいわく、いろんな事情で都会には負け犬が大量発生しているのである。
そして、負け犬としての自分の立場が世間では市民権を得ていないのだと実感する機会はたくさんある。
10代の頃の知り合いと、数十年ぶりに会った時の会話。
「今なにしてるの?」
「ええ、まだ独身で、XXの会社に勤めてるんですよね。」
「そう…・」
(と、ここでこのやさしい人は私が負け犬だとはっきり認識し、たまたま再会した可哀想な女性の擁護にまわる。この場のこの時点では誰も私を責めていないのに。)
「まあでも、
(この『まあでも』がクセモノなんだっ)
今はいろんな生き方があるからね。
なにも結婚だけが人生じゃないし… しても失敗する人もいるし…・
仕事が楽しくて毎日が充実してればそれもいいよね。」
と、この最後の『それも』の『も』がまたクセモノなのだ。
その『も』には、すべてがこめられている。
基本的には結婚出産の人生が女の幸せだけれど、まあ、結果的にこうなっちゃったんだからしょうがない。しょうがないから、それ『も』いいとしてあげよう。少なくともこの場だけでも。
という真意がこめられている。
ていうか、この人は大きな早とちりをしている。
『なにも結婚だけが人生じゃないし…』というところ。
私がいつどこで、
「まだ独身です。そして、この先も一生結婚はしません。」ときっぱり誓ったのか?
この人は、30代半ばでまだ独身の女性イコールもう終わった人と思っているからこのような発言が出るのだ。
いやしかし、だからといって、いちがいにも彼を責められまい。
この人は、よかれと思ってそう言ってくれたのだし、他にどう言いようがあるだろうか。
「ええーーーーっ?まだひとりい?もう30代半ばだろう?それって、人生終わりだな。うわー、君若いときはあんなに可愛かったのに、結局誰とも結婚出来なかったんだ。惨めだねえ。哀れだねえ。この上なく不幸だねえ。」
とか言われたほうがすっきりするかと思うと大間違いで、言われた負け犬はショックで3日くらい寝込むことになろう。

酒井さんいわく、このエッセイに対して数々の意見が寄せられ、その中には、勝ち犬からの意見として、
「既婚か、非婚かで人生の勝ち負けを決めるのは間違っている。」という声が多くあったそうな。しかし、そう言う勝ち犬はすでに自分たちの勝利を認識し負け犬が可哀想だと思った上で負け犬の肩を持ってなぐさめの境地にある」のだそうだ。
だからこそ、負け犬のみなさん、悪あがきせず、自分たちのことを負け犬だと認めましょう。と。

……・確かにそうかもしれないなあ。
それでも。
勝ち犬の無神経な発言とか、特に子持ち専業主婦の世界には相容れないものが多すぎるし、世間の人たちの無意識のうちから来る差別発言にも我慢できないものがありすぎる。
一方、負け犬にももっと多様性があると思う。
私が思うには、『負け犬』(30代超、独身女)イコール『バリバリのキャリアウーマン』という図式が世の中では出来すぎていると思う。
酒井さんも、このエッセイの中で負け犬のほとんどが仕事が出来てお金がある女性と位置付けているけれど、実際には仕事でもイマイチで稼ぎも悪い負け犬だっている。
いい年して管理職でもなく、万年アシスタントな女性だっているだろうし、この不景気でリストラされたりで就職もままならず派遣とか契約社員で不安定な立場の人だっているだろうし。
だから、極端な話、同じ負け犬でも仕事バリバリ、年収1千万超、ゴージャスなレストランで食事のあとは自宅までタクシーで乗り付ける、なんて優雅な負け犬もいれば、アパート住まいで昼は会社夜は居酒屋でバイト、友達と飲むときもいつもお互いの家で発泡酒オンリーとかいう貧乏負け犬もいると思う。
もっとも、金持ちと貧乏がいるというなら、勝ち犬だってもちろんそうなわけで、優雅な暮らしをしているお金持ちの専業主婦、シロガネーゼとかアシヤレーヌがいると思えば、子供が何人もいてだんなの稼ぎが心もとないからパートで生活費の足しにしているつましい家庭の主婦もいるわけで、そういう主婦たちは自分の洋服なんか買ってる余裕すらなかったりして、そうするとやはり稼ぎが多少悪くたって独身女性のほうが金銭的時間的な余裕はどうしたってあるだろう。
それでもどんなに貧乏だって、生活に追われていたって、子持ち主婦にはなんといっても燦然と輝く妻の座があるわけだし、子育てというすばらしい女としての重要な役割を得ているのだから、貧乏負け犬との勝負にははなから及ばない。

まあ、それはともかく、酒井さんの言うとおりなのかなあ、と私は思う。
未婚でい続けることは、結構辛いものがある。
そして、そのことについて他人からの不愉快な発言(一見親切な発言でもひがみっぽい負け犬はその言葉の裏に隠された真意を瞬時のうちに嗅ぎとってしまう)を食らうたびに、人生を呪っては趣味とかサークルとかあるいは負け犬同士の飲み会食事会とかの計画にエネルギーを注ぐのだ。

結論として。
勝ち犬の皆さんと男性の皆さんは、負け犬をほっといてあげましょう。
負け犬は見た目よりずっとデリケートで傷つきやすいんです。
もう、負け犬だって腹を見せて降参してるんだから、それ以上棒でたたくのはやめましょう。
人はみな、それ以上入って欲しくない領域というのがあります。
やさしくしろとは言わないから、どうか、ほっといてあげてください。
負け犬の気持なんて、負け犬にしかわからないのですから。


2004年2月

 
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