ひとり暮らし悲話  〜ヘンゼルとグレーテル〜

 
ある年の春、私はワンルームマンションを借りた。
もとはといえば、父親との大バトルのあげく、家出同然の形で始まった一人暮しである。計画性などあるはずもなかった。
敷金礼金や引越し費用などで貯金を使い果たしたあと、無慈悲にも派遣の仕事の契約は切れ、私は無職となった。
派遣でつなぐことも出来たが、私は正社員として就職がしたかったので、平日は職探しと面接、それとスキルの向上のための学校(派遣会社でただで習える)に通いながら、土・日だけのアルバイトを見つけた。
とあるクレジットカードの会員に電話しては、情報誌の定期購読を勧めるという売り込みのテレホン・アポインターだった。時給は1000円。土・日フルで働いても一ヶ月の収入は64000円である。かたや家賃は62000円、それ以外に当然光熱費やら食費、そして電話代や国民保険や国民年金などの支払いもある。危機だった。
背に腹は変えられず、生命保険を解約して少しは当面の生活費にはなったものの、安定した収入の見通しは立たない。とにかく、いざとなったら派遣の仕事をみつければいいのだから、それまではがんばってみようと決心し、それから爪に灯をともすような極貧生活が始まった。

ところで私は無類の大食いである。誰が名づけたか、「人間掃除機」とまで呼ばれ、今まで行く先々でその名を多方面に轟かせてきた。
好き嫌いはなく、揚げ物やら、甘いものやら、こってりとしたものには目がなく、朝からカツ丼は食うわ、デコレーションケーキはナイフで切らずにフォークでメッタ刺しにして一人でまるごと食うわ、バイキングあらしとの異名もとった。
「僕は君のようにたくさん食べる女の子を今だかつて見たことがない。」それは、サークルの憧れの君から初めて話しかけてもらった記念すべきお言葉であった。卒業後もサークルでは私の名前が伝説と化していたらしい。
当然毎年太り続けた。高校生のときから身長は変わっていないが、体重は毎年記録を更新していった。成長が止まらないのだから、子供と同じで、毎年新しい服を買わなくてはならなかった。
そんな矢先に、降ってわいた天罰のような粗食生活が始まったのである。

コンビニ弁当はおろか、出来合いのおかずも高くて買えないが、時間には余裕がある。
ひたすら自炊の日々。お米代もばかにならないから、一食あたりごはんは一膳でがまんする。
献立は野菜などがメイン、お肉やお魚は高くて買えない。せめて安物のソーセージでたんぱく質を補給する。当然ケーキもおあずけ。かぼちゃを甘く煮たもので我慢する。
一回調理すると、3回は同じものを食べなくてはならない。しかし、ひたすら耐えた。
やがて貧血でへたりこむという現象も、生まれて初めて体験した。
私もやっと人並みの人間になれたような気がして、うれしかった。
何故だか胃がきりきりするという現象も起きた。それまで胃に異常を覚えるという経験は皆無で、従って胃がどこにあるのかという自覚すらなかったものだから、(友人は胴体全体が胃なのではないか、と言ったが)これまた普通の人間になったような気がしてうれしくて、人に自慢したりした。
残ったおかずをいつまでも食べていたせいか、おなかをこわすこともあった。自分で作ったものでおなかをこわすとは・・・・それだけは情けなかった。
そうしていくうちに、私はみるみるやせていった。

そんなある日、バイトが終わった後に、マネージャーが私達バイト数名を飲みに誘ってくれた。
都内某所の安い居酒屋。それでも、お金がなくてしばらく友達とも会えずにいた私にとっては、久々の外食だった。久しぶりの人並みな食事。鳥のから揚げ、焼きそば、お好み焼き、コロッケ、チャーハン、さいころステーキ・・・私は口もきかずただひたすら食べ続けた。調子に乗ってビールもがぶがぶ飲んだ。久しぶりのお酒でもあった。
そうして二次会のカラオケにも行き、気がついたら11時半を回っていた。しまった、終電がない、と気づいたときには遅かった。
と、そのとき、家が同じ方面であるマネージャーが、一緒にタクシーで帰ろうと言ってくれた。渡りに舟だった。

そうして、12時を回った頃、二人でタクシーに乗り込む。
高速に乗ってしばらくすると、私は気分が悪くなり、吐き気を覚えた。
しばらく粗食を続けていたところに、いきなりの爆食で、胃が拒否反応を起こすのも当然であった。
それと同時に、マネージャーの雰囲気がなんだかおかしくなってきた。
「君は可愛いねえ、僕は君みたいにぽっちゃりした子がタイプなんだよ。前から、君の事が気になってたんだ・・・」
(何だとおおおおおお???!!!!!)
いきなりエロおやじに豹変し、すり寄ってくるマネージャー。こうなったら、なにがなんでも気をしっかり持たなくてはいけない。
気分が悪いなどと気づかれた日には、変なところに連れこまれるのが落ちだ。
やがてエロおやじの手が私の太ももに接近する。
(うっ・・・・・)左手で握り締めたハンカチで口を押さえ、こみ上げるものを強引に飲み込む。
一方、右手でかかえたハンドバッグを右足の横にぴったりと押しつけ、
おやじに触られてたまるものかと、必死に防御する。
やがてタクシーは高速を降り、マンションの最寄りの駅に着いた。家まで乗っていくのは危険だ。
「もうここで大丈夫です。」
家まで送っていくというヒヒジジイを突き飛ばすようにして私はタクシーから降り立った。
(助かった・・・。)
そして家まで歩き出したとき、ついに我慢できなくなった私は、コンビニのまん前で思いきり吐いた。
よろよろと歩く。そうして3歩歩いたところで、美容院のまん前でまた吐いた。
また3歩歩く。こんどはヤクザの事務所である「XX興業」の前で恐れ多くも吐いた。
そうして3歩歩くたびに吐きながら、やがて家に着く。
胃の内容物はもうなくなっていた。
部屋を汚さずにすんだ。ラッキー。
そう思ったが最後、私はついに力尽きてベッドの上に倒れ果てた。

あくる日の朝、よろよろと起き上がった私は、駅前のスーパーまで買い物に出かけた。
部屋を出たとたんに目にしたものは、マンションの階段に転々と落ちているGであった。
それは、昨日私が歩いた道のりに、規則正しく落ちていた。
逆にいえば、コンビニの前から始まって、その痕跡はGの犯人(私)の住んでいるマンションの部屋までしっかりとつながっていたのである。
誰がやったのかは一目瞭然であった。
しかし、私はすでに気分も爽快で、そんなことはどうでもよかった。
今日からまた強く生きていくのだと決意を新たにし、歌いながら小躍りして家に帰っていった。

この話は私の友達の間で「ヘンゼルとグレーテルストーリー」として広く知れ渡っている。


2004年4月

 
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