免罪符

 
あるとき会社で同僚の男性に言われた。
「君は35歳にもなって結婚もしていない。仕事はといえば、いつまでたってもアシスタント。キャリアもなければ、これといった目標もない。それでこれから先どうするんだ?」
激しく傷ついて相手をうらんだけれど、日が経つにつれ、それが世の中の一般的な見方なのかなあと、冷静に受け止めるようになった。

そうかと思うと、別のおじさんは、独身女性をみつけては、あちこちで同じことを得意げに聞くのだった。
「君の夢はなんなんだ?」
「将来どうしたいんだ?」
うるさいオヤジ。ほっとけよ。
それ自体が独身女性に対するバッシングであり、余計なお世話だった。
じゃあ一体、どういう答えにオヤジは満足するのか。
「司法試験の勉強中です。40歳までには弁護士になります。」
「3年後には今の年収を倍にします。」
「演歌歌手になります。来年の紅白出場を狙っています。」
そんな感じでお気に召すのだろうか?

OLが独身でいる限り、当たり前のように上昇志向やらステップアップやらを周囲から押し付けられる。
別に「キャリアをめざしているから独身でいる」わけじゃないんだけど。
結婚しないでたまたま来ちゃっただけで、仕事に人生を捧げるつもりなんかない女性はたくさんいるのに。
しかし、既婚女性に対しては、(本人がみずから求める場合を除き)キャリアとかステップアップの押し付けはされない。
何故か。当然家庭があるからだろう。
けれども、子持ちの働く女性が子育てに専念するため仕事の第一線を退くのは無理もないと周囲も受け止めるが、既婚、子なしの女性に関してはどうだろうか。
オヤジの質問の、
「君の夢はなんなんだ?」
「将来どうしたいんだ?」
っていうのが、キャリアとか社会的活動のことを聞いているならば、何故既婚子なし女性には同じ質問をしないのだ?

私は結婚前からひとり暮らしで、当たり前だけど家事は自分でやっていたわけで、結婚したからといってやるべき家事がそんなに増えるわけでもないし、(むしろダンナと家事の分担をすることにより、少しは減るわけだし。)家事にかかる負担という点では結婚前もあとも別段変わっていない。
しかし、世間様はこう考える。
ニッポンの妻たるもの、家事はすべて完璧にこなした上で、かいがいしくだんなの身の回りの世話も焼くのが仕事、という考えがまずありき。だからこそ、

結婚した

妻はだんなの世話を焼くべし

勤めは辞めてもよし。ていうかダンナの世話に支障を来さないためにも辞めたほうが望ましい。まあ、家計の都合でどうしてもっていうんなら勤めを続けてもいいけど、キャリアとか目的意識とか、そんなの独身女性の話だ。もう君には関係ないから、とっとと忘れなさい。もうシャカリキになって働かなくていいから、定時に退社してきちんとダンナのご飯作りなさいよ。

という図式になるんじゃないか。これはゆゆしき時代錯誤ではないか。
しかし一方で、キャリア志向に程遠い私としては、結婚してやっとその辺の追求から逃れられて心からほっとしているのも事実である。

知り合いの男性で、靴下のありかもわからないっていう人がいたっけ。
専業主婦の奥さんが身の回りの世話をなにからなにまでやってくれていたそうだ。
かと思えば、共働きなのに、だんなが家事を一切手伝ってくれないという話はいまだによく聞く。妻が家事全般をひとりでやるのはもちろんのこと、旅行の支度はだんなの分までやるわ、しまいに靴下まではかせているという30歳の新妻を私は知っている。
そういう奥さんたちに告ぐ。
時代はもう平成16年っすよ。そういうの、いい加減やめましょうよ。

酒井順子さんの「負け犬の遠吠え」については以前にも書いたけれど、負け犬と一言で言ってもランクづけがある。
この本で彼女が対象にしている負け犬の種類は主に、高学歴、高収入のキャリアウーマンである。妻、そして母にはなれずともその他のものをすべて持ち合わせている、言ってみれば「あと結婚と出産さえすればパーフェクトな」シングルウーマンのことである。もちろん酒井さんご自身もそうである。
つまり、キャリアもなければ収入も普通もしくは普通以下、ましてや30代半ばでいまだにお茶くみとかやってるような人は論外なんだと思う。

でも。
そういう論外なキャリアなし負け犬だって、結婚さえすれば一転勝ち犬である。
キャリアなし、志なし、おまけに同僚に罵倒される体たらくだった私は、かくして昨年やっと結婚した。
もう金輪際キャリアだの目的意識だのギャーギャー問われなくてすむのだ。
それだけではない。キャリア持ち高収入負け犬よりも(世間から見れば)「安定した」場所に行けるのだ。
(だってなんたって勝ち犬だもーん)

世間様は厳しい。女は常にふるいにかけられる。
これは30代女性の、世間様から受ける選別である。

はい次の人どうぞ。
Aさんね。
未婚?既婚?
あ、既婚ね。じゃあ、右に行ってよし。

次の人どうぞ。
Bさんね。
未婚?既婚?
あ、未婚ね。じゃあ、左行って。
仕事は?
ん?ABC証券運用管理部マネージャー?
年収は?1200万?
じゃあ右に進んで。

次の人、Cさんね。
未婚ね。まず左ね。
仕事は?
え?イマイチ商会?聞いたことないなあ。
健康食品販売会社の事務?
ふーん。
もう36歳でしょ。主任くらいやってんの?
え?ヒラ?営業のサポートのみ?
まさかあなた、その年になってお茶くみだのコピーとりだのはしてないでしょうねえ。
え?してる?
左だね。一番左に行きなさい!
行ってよし!

と、このように女性のライフスタイルは細分化され、さらにランク分けされる。
「今はいろいろな生き方があるからね、結婚だけがすべてじゃないし」とか、「本人が今の生活に満足していればいいんじゃない?」などと、(身近にいるひとりひとりの人間)はくちぐちにいうけど、そのひとりひとりが集まって大勢になって「世間様」っていう意識の集合体になると、がらりとちがう意識を持つ。つまり、AさんやBさん、Cさんに下されるみたいな「細分化、同時にランク分け」がされるのだ。
つまりこれが、「今日では本人に面と向かっては決して誰も口に出さない、でも動かしがたい世間の見方」なんだと思う。
(ひとりひとりの個人は口に出さずしても、大勢になると「世間様」はこう言っている)この矛盾した事実こそが、独身女性を思いきって「負け犬」と呼ぶに至らしめたのだ。これだって、「世間様」のご意見を具象化しただけのことだと思う。

もちろん、結婚さえすればすべてから解放されるわけではない。
子供がいない夫婦は、その理由がどうであれ、多かれ少なかれ「子供生めバッシング」にさらされることになる。
「女は子供を産んで一人前だ。」
これは年配の女性がよくいうセリフだが、だとすると結婚しても子供を産まない女性は「一生半人前」なのだろう。
しかし、それでも「負け犬」よりはましである。
私から見れば、「子供生めバッシング」は、「結婚しろバッシング」とは比較にならないほど楽チンだと思う。
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結論。
女にとって、結婚は立派な「免罪符」である。
とりあえず、女として果たすべき責務は果たしたとみなされる。
キャリアだの社会での地位だの将来の夢だの資格とれだのと、オヤジにあれこれ言われなくてすむ。
一方で、キャリア志向の有能な女性は、結婚しても出産しても、家庭の環境さえ許せばいくらでもチャンスはある。
つまり、女は結婚さえすれば、子育てや家事に専念するなり、キャリアを追及するなり、好きな道を選択できるわけだ。

そうやっていいことづくめの既婚女性に対し、
負け犬は数々の試練に常にさらされている。
オヤジの質問みたいな、無意識のバッシングはあるわ、「もう結婚あきらめた人」みたいなレッテル勝手に貼られるわ、負け犬は辛いのである。
世間様のそのあたりの意識が変わって、女性が本当に自由になるには、さらにもう少し時間がかかるようだ。

2004年6月

 
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