- 一人旅のススメ -

 
20代の頃はよく友達と海外旅行に行った。
ハワイ。香港。バリ島。ロンドン。パリ。ニューヨーク。
初めてのものが目新しくて、何を見ても新鮮で、飛行機に乗って大騒ぎ。観光して大騒ぎ。食事して大騒ぎ。買物して大騒ぎ。写真をパチパチ撮って、初めての体験に緊張して、びっくりして、はしゃいで、大笑いして。
世界の知らない場所に行くたびに、自分の知ってる場所が小さくなっていくのを知った。未知のものがこんなにあったのかって、驚きの連続だった。いろんなことを夜通し友達と話しながら、感動を分け合ったり、人生を語り合ったり。

やがて海外旅行にも少しは慣れた30代。英語もマスターした。
ウェールズで一人旅デビューを果たした私は、一人旅のとりこになった。
誰かと一緒の旅は、何をするにも意見を一致させないと先にすすめない。どうしても意見がくいちがったり、思いがけないハプニングに見舞われたりして仲たがいすることだってあるし。そんなとき、あーあ、どうして旅先まで来てこんな思いをしなくちゃいけないのかしら、ひとりならどんなに気が楽かしら、なんて思ったりする。
それに比べて一人旅は、最初から最後まで自分のペースで自分の好きな場所に行って自分のやりたいことが出来るのだ。
急に思いついて、バスを途中下車してみたくなったり。
港町の夕暮れが見たくて、日が暮れるまでベンチで何時間も座っていたり。
歩き過ぎて疲れたら、宿に戻って昼寝したり。
そのうち独り言を言う自分に気づく。宿に戻ってから一息ついたときに。知らない街を歩いているときに。自分がもうひとりの自分と話しているみたいな気分になる。
そう、それは自分との対話。
自由である一方で、何があってもひとりで受けとめなくてはいけない責任感。おのずと背筋がぴんと張る緊張感が生まれるのだけど、同時に「ひとりぼっち」を楽しむ余裕も出てくる。自分を見つめなおし、自分を外からながめているような、不思議な感じ。

一人旅してみたいけど、なんか淋しいし…不安だし…とか、多くの人は言うけれど、現地の言葉をカタコトでもいいから話せれば、あとはほんの少しの勇気さえあれば大丈夫。
そうして、ウェールズのあとは韓国縦断の旅を経て、次に選んだのはあこがれのアイルランドだった。

そこはアイルランド西岸、ケリー州のディングルという小さくて可愛らしい海辺の街。
パッチワークみたいに美しい丘陵や、牛がのどかに草を食む牧草地や、映画「ライアンの娘」や「遥かなる大地へ」のロケ地になった、なだらかに続く美しい砂浜。そしてにぎやかな観光地キラーニーや首都ダブリンなどをめぐる10日間の旅。ハイシーズンの7月は、どこもかしこも観光客でにぎわう。
一人旅で困ることは、やはり食事である。
朝昼はともかく、夕食をレストランでひとりでとるのはどうしても抵抗がある。
仕方ないからスーパーマーケットでサンドイッチを買ってきて宿で食べたりしていたけれど、ある日街を歩いていて通りかかった、いかにもこの街で一番人気といわんばかりににぎわったシーフードレストランの、出入り口に置いてあったメニューの誘惑に勝てなかった私は、ついにおひとり様ディナーデビューを果たした。
なんてことはない、やってしまえばこちらのものだ。それに、自分が気にするほどまわりは気にしていないのだから。
それからというもの、私はレストランでひとり食事を楽しむ術を覚えた。

一人旅の良いところに、仲間がいる旅に比べて、人と知り合える機会がだんぜん多いということがある。それは現地の人であったり、同じ観光客であったり。
小さな美しい海辺の街ディングルで、その晩も私はひとりシーフードレストランで食事をしていた。
すると隣に居合わせた欧米人と見られる60歳くらいの3人のご婦人方が、私のほうをチラチラ見ているのに気づいた。
目が合った拍子にほほえみかえすと、ひとりがうれしそうに声をかけてきた。
「こんにちは。」
私も「こんにちは。」と答える。
すると、
「ひとりで来てるの?」と美しい銀髪のご婦人。
「ええ。一人旅が好きなものですから。」
そうして話すきっかけが出来たと思いきや、あとのおふたかたもここぞとばかりに話に入ってきては私にいろいろ尋ねる。
「どこからいらしたの?」
「何日くらい滞在してるの?」
彼女たちはアメリカから休暇で来ていて、あちこちの町を車で移動しながら、1ヶ月滞在するそうだ。アジアからひとりで来てる女性が珍しいのかな?などと思いながら、話し相手が自分しかいなかった私はまんざらでもなかった。
「どこに泊まっているの?」
「○○ホテルです。でも、ちょっと高いんですよねえ。一泊50ポンドもするし。」
「ああた!なんでそんな高いホテルに泊まってるのよ!キャンセルしてよそに移りなさいよ!△△ホテルはいいわよ、シングルでも25ポンドで、朝ご飯がゴージャスよ!!それはそうと、これからどうするの?ここから2ブロック先の◎◎教会で、クワイヤーのチャリティーコンサートがあるのよ。良かったら一緒に行かない?」
そんなふうに、旅先の情報をあれこれを教えてもらったと思えば、
「日本人の宗教観とは」などという話題にも及ぶ。
「神様はいると思う?」
「うーん、私は信じる宗教もありませんし、神様も、、、信じていませんね。ただ…亡くなった父がいつも私を見ているような気はするけど。」
その言葉を聞いて我が意を得たり、とにやりと笑った銀髪婦人。
「じゃあね、亡くなったあなたのお父様は、今どこにいらっしゃるの?」
「うーん」
しばらく考えた末に答える。
「天国かな」
銀髪婦人が私をぎゅうっと抱きしめて言った。
“May God bless you.” (神様のご加護がありますように。)
そうして食事のあとは彼女たちと一緒に教会にコンサートを聴きに行く。それが終わると9時。アイルランドの夏は11時くらいまで明るいのだ。すっかりはじけたご婦人方と一緒にパブに入ってギネスをひっかけ、アイリッシュミュージックの生演奏を楽しむ。そして次の店へとパブのはしごをする。3杯目を飲み干したところで11時。少し日も暮れてきた。ご婦人がたに別れを告げ、千鳥足で宿へと帰る。そうしてアイルランドの一日は終わる。

翌日、通りを歩いていた私は、お土産屋さんのショーウィンドウに足を止めて、中を覗き込む。美しいクラダーリング(アイルランドの名物の指輪。王冠を両手で支えたデザイン。)につい引き込まれて。
そうしていると、お店の中からおじさんのよく通る声が私を招き入れる。
「こんにちは!いい天気だね!」
「ええ、とっても。」と答えるやいなや、おじさんは私にクラダーリングの説明をしてくれた。
そのデザインは友愛を表していること。既婚者や恋人がいる人は、王冠を上にして指にはめるが、そうでないフリーの人は上下逆さまにはめるのだよ、と。
「ところできみはひとりで来てるのかい?」
「そうです。」
するとおじさんは、とっても悲しそうな顔になる。
「どうしてだね?一緒に来るボーイフレンドはいないのかね?友達はいないのかね?」
おじさんの瞳があまりにも悲しそうで、なんだか申し訳ない気持ちになる。
「友達はいますよ。でもね、私は一人旅が好きなんです。知らない人と友達になるのも好きなんです。だから、おじさん、そんなふうに悲しい顔をしないで。」
そう言った私をじいっと見つめてから、おじさんはにっこりと微笑んだ。
「わかったよ。気をつけて旅をするんだよ。」
そうして私が買ったクラダーリングを、歌いながらきれいな緑色の薄紙に包んでくれた。

翌朝、3日間を過ごしたディングルに別れを告げ、始発のバスでに次の滞在先キラーニーへと移動した。海辺を走るバスには私のようにバックパックを背負った観光客が3人きり。知らない同士離れて座っていたけれど、どういうわけか目的地に着く頃には仲良くなっていた。40代くらいのポーランド人の女性と、20代前半のドイツ人の男の子、そして30代、日本人の私。
ポーランド人の彼女は、漆黒の髪が印象的だった。フランスでツアーコンダクターをしている合間をぬっての休暇だそうだ。ドイツ人の男の子はといえば、吸い込まれそうに美しい青い目をしている。青い、というよりもそれは明るい空色だった。留学時代にもヨーロッパの人たちとたくさん会って、いろんな色の瞳を見たけれど、こんなに美しい目をした人とは初めて会った。
バスは海沿いを走る。朝の8時、海を照らす陽の光が反射してまぶしい。美しくなだらかに続く砂浜は、かつて見たアイルランドの映画「ライアンの娘」のまさしく舞台になった場所だ。
私たち3人は、ディングルで泊まった宿の感想から、どこに行って何をして過ごしたか、どこのレストランがおいしかったか、それぞれの話をしてお互いに聞き入っていた。このバスの終着駅キラーニーで、私は1泊、彼らはそれぞれ2〜3日滞在するという。
ポーランド人の彼女が言った。

一人旅はいいわよね。自由で、気楽で、何もかも好きに出来て。

ドイツ人の彼と私は心からうなずいた。そんなふうに感心したり笑いあったりしているうちに、なんだかこの人たちとすごく親しい関係のように思えてくるのが不思議だった。たった1時間前に出会ったばかりで、もうじき到着する終着駅に着いたら私たちはお互いにさようならを言い合い、出会う前の他人に戻り、それぞれの一人旅が始まるのに。
やがてバスはキラーニーに到着した。
(もしも、良かったら)
バックパックを背中に背負って降りる支度をするふたりに、私は言いかけた。
(もし良かったら、このキラーニーで今晩一緒に食事でもどうですか?)
でも、やめた。
私たちはみな、孤独な一人旅を楽しんでいる自由な旅人なのだ。
約束や束縛をするのはやめよう。
もしも偶然また出会ったら、にっこり笑って、会話をして、そしてそのときにまた誘ってみよう。

そうして、私たちはお互いに握手をしあい、これからそれぞれの旅がすばらしいものになるようにと願いあって、さよならを言い、別々の道を行った。

あれからもう7年が経つ。
結婚した今では、もうしばらくは一人旅に行く機会はないだろうけれど、ときどきあのディングルの旅を思い出す。
知り合った人たちの暖かさと、ひとときの時間を同じ場所で共有したその一瞬の感動を。
アメリカから来ていたご婦人方。お土産屋のご主人。そしてバスで出会ったふたり。
写真一枚として一緒に撮らなかったけれど、私があのとき知り合った彼らひとりひとりを今でも覚えているように、彼らが今でも私のことを覚えていればいいなあ、と心のどこかで願いながら。


2005年12月

 
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