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【第17回】
和製ブルーボーイ、銀座ローズ
(1960年代) |
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皆さんは、銀座ローズの名前をご存知ですか?。彼女は1960年代の日本で最も有名な性転換女性でした。
銀座ローズこと武藤真理子は、1930年(昭和5)、北海道旭川市で寿司屋を営む武藤家の長男(本名:隆夫)として生まれました。子供の頃から女っぽく、小学生の時にはおかっぱ髪でランドセルの上に赤いショルダーバッグを下げて通い、中学生の夏休みには女装して子役の踊り子として興行師とともに北海道中を巡業したそうです。
1958年(昭和33)に大阪OSミュージックで本格的な舞台デビューをして「謎の舞姫」として話題になり、60年頃に去勢手術、62年頃に大阪曾根崎の荻家整形外科病院で造膣手術を受けました。
その翌年の1963年の暮、フランスはパリの「カルーゼル」の性転換ダンサーたちが来日公演して大きな話題になり「ブルーボーイ・ブーム」が起こりました。銀座ローズは「和製ブルー・ボーイ」ダンサーとしてその波に乗り、興行界を賑わせることになります。
彼女の舞台は、幼い頃から鍛えた和洋両方の踊りに加えて歌も上手、その女性的な美貌もあって人気を呼び、1965〜66年頃の全盛期には一般の週刊誌などにも数多く紹介されています。
当時、「和製ブルー・ボーイ」として彼女のライバルだったのが、1964年に日劇ミュージックホールでデビューしたカルーセル麻紀でした。とは言え、まだ性転換手術を完了していなかったカルーセルに対し銀座ローズは性転換済みで、興行実績的にも彼女に軍配が上がります。
舞台以外に彼女を有名にした要素が二つありました。一つは彼女が男性と「結婚」(夫が彼女の弟として入籍)生活を営んでたことで、1961年には盛大な結婚式を上げ「妻になった男」として話題になりました。 |
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もう一つは、妹の静子との対照です。静子は女性的な兄とはまったく逆で「荒縄のおシズ」の異名をとったほど男性的で、成人後は男装で過ごし「シー坊」と呼ばれ、兄の真理子と共に「性を取り替えた兄妹」としてマスコミに紹介されました。
ところで、銀座ローズのことを書こうと思いながらなかなか書けなかったのは、彼女の生年が確定できなかったからでした。全盛期のインタビューなどでは巧みにごまかして年齢を明らかにしていません。彼女についての最も新しい記事である「戦後風俗史オトコとオンナの証人たち」(『FOCUS』1995年8月29日臨時増刊号)に基づけば、1936年(昭和11)旧満州の生れとなりますが、どうも話の辻褄が合わないところがありました。今回、彼女に関する初期の記事が見つかり、1930年、北海道生まれとやっと確定できました。年齢のサバを読むのは女心の常ですし、また営業的にもある程度は必要なこと。私もさんざんサバ読みをしたので、人のことを非難できませんが、社会史研究者としてはとても苦労させられました。
彼女の生年が明らかになったことによって、その全盛期が短かったのは、年齢が理由ではなかったかという推定が浮かんできました。大阪でのデビューが28歳、人気を得た1965年にはすでに35歳だったことになります。ライバルのカルーセル麻紀(1942年生)とはちょうど一回り12歳の差ですから、60年代末に、銀座ローズがブルーボーイ・ダンサーのトップの座をカルーセルに明け渡さざるを得なかったのも仕方がないことかもしれません。
銀座ローズは、1967年にホストクラブ「ヘラクレス」を、88年には浅草でゲイバー「銀座ローズ」を開店し、ママとして店の経営に腕をふるう一方で、31年間連れ添った旦那さんと娘さん(養女)を育てあげました。
高度経済成長期の夜を妖しく彩った名花の「女の一生」は、意外に家庭的だったのかもしれません。 |
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「資料17-1」 |
「資料17-2」 |
「資料17-3」 |
「資料17-4」 |
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資料17-1 |
美貌とスタイルの良さがわかります。 (『100万人のよる』1963年3月号
季節風書房) |
資料17-2 |
「妻になった男」 (『100万人のよる』1963年3月号 季節風書房) |
資料17-3 |
銀座でショッピングする銀座ローズ (『風俗奇譚』1965年1月臨時増刊) |
資料17-4 |
銀座ローズのステージ (『風俗奇譚』1965年1月臨時増刊) |
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