日本女装昔話
第23回】  女装スナック『ジュネ』 (2)  (1978-2003年)
2003年12月に閉店した新宿女装世界の老舗「ジュネ」(中村薫ママ)についての2回目です。
 
女装者と女装者好きの男性の「出会いの場」を設定するという営業スタイルとともに、「ジュネ」の繁栄をもたらしたもう一つのシステムが、女装会員制度と支度部屋でした。
 
いつの時代でも女装者にとって悩みの種は、着替えの場、化粧の場、そして女装道具を保管する場所の確保です。
 
「ジュネ」は、1985年頃に、店からほど近い新宿5丁目のマンションの一室を借り、店付属の女装支度部屋を開設しました。会費を払った会員に支度部屋として利用させることで、女装者の悩みを解決するとともに、店に所属する女装者の確保をはかる一石二鳥のアイデアでした。
 
会員は、月会費(15000円)を払い、支度部屋を利用した日には、店に顔を出す義務をおいました、その代わり、店での飲食代(非会員の女装者は4000円)は無料でした。毎週1回のペースで店に通うならば、会員になった方が金銭的にも有利ということになります。
 
ただ、飲み代が無料である代わりとして、店では男性客の隣に座って話し相手になることを求められ、店が混んできてスタッフの手が足りなくなると、スタッフの仕事を補助する役割も期待されます。
とは言え、なにも仕事をしなくても、会員の女装者が安定的に店に来るだけで、女装者好きの男性客は喜ぶわけですから、店にとって会員制度のメリットは大きかったのです。
 
気っ風が良く、面倒見の良い親分肌の薫ママのもとで、会員からは中山麻衣子、ニーナなど新宿女装世界を代表するすぐれた女装者が育ちました。人望厚いママとレベルの高い女装会員、彼女たちを目当てに集まる女装者好きの男性客によって、1980年代後半から90年代前半にかけて、「ジュネ」は大いに賑わい、新宿女装世界の中核として君臨しました。
 
また、同じ頃、「ジュネ」のシステムを学んだスタッフや会員たちが、「嬢」「マナ」「アクトレス」「スワンの夢」「ミスティ」など、次々に独立出店していきます。その範囲は、発祥の地であるゴールデン街地区だけでなく、新宿3丁目や2丁目にまで広がりました。
 
ここに女装スナックを拠点とする新宿のアマチュア女装世界が形成され、1990年代後半には、日本の女装世界の中心として盛況をみせることになります。
  
「梢」を根に「ジュネ」を太い幹とした樹は、大きく枝葉を広げたのでした。
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「資料23-1」
資料23-1  「ジュネ」の中村薫ママ。花園五番街時代の撮影。
(提供:ジュネ会員、久保島静香さん)