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「性転換」という言葉、今でこそ耳にすることは珍しくなくなりましたが、わずか50年ちょっと程前までは、まだ空想科学小説の世界の話題でした。
世界で最初の「性転換」手術は、1930〜31年にドイツのクロイツ医師の執刀でデンマーク人画家アイナー・ヴェゲネル(女性名:リリ・エルベ)に対して行われました。しかし、彼女が卵巣移植手術後に死亡したこともあって、この手術に関する情報は十分に伝わりませんでした。
「性転換」が現実の話題になったのは、1952年2月にデンマークで女性への「性転換」手術を受けた元アメリカ軍兵士ジョージ・ジョルゲンセン(女性名:クリスチーヌ)の帰国のニュースが世界を駆け巡った1952年(昭和27)末のことでした。
日本でも1953年初から週刊誌などで大きな話題になり、マスコミは、同様の事例が日本でもないか探し始めます。そして、同年秋になって、ついに「日本版クリスチーヌ」が「発見」されました。
それは、永井明(女性名:明子)の事例です。第一報は「男が完全な女になる」「世紀の手術に成功」という見出しで報じた『日本観光新聞』9月4日号だったようですが、これは仮名報道で、実名で報じたのは「日本版クリスチーヌ
男から女へ キャバレーの女歌手で再出発」と題した『週刊読売』10月4日号が最初の記事でした。
永井明子は、1924年(大正13)東京葛飾区亀有の生まれで、職工や事務員など職を転々とした後、聖路加病院に雑役夫として勤めていた時に、男性への愛情をきっかけに転性を決意し、1950年8月から51年2月にかけて東京台東区上野の竹内外科と日本医科大学付属病院で2回に分けて精巣と陰茎の除去手術と造膣手術を受け、さらに別の病院で乳房の豊胸手術を受けました。 |
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インターセックスではなく、完全な男性からの「性転換」で、手術完了の時点では27歳でした。ちなみに、手術の名目は「陰茎ガン」だったそうです。
驚くべきことに、永井の手術の完了は「本家」のはずのクリスチーヌ・ジョルゲンセンよりも1年ほど早かったのです。日本の性転換手術に関する技術は、当時、世界のトップレベルにあったことがうかがえます。
彼女は「性転換」女性として話題になった後、知名度を生かしてキャバレー歌手になりますが、「性転換」の話題性が薄れるとともに、マスコミから姿を消していきました。
その後、自称・他称含めて「性転換第一号」という報道はしばしば見られますが、いろいろな資料からして、永井明子こそが、日本における最初の性転換女性であることは、ほぼ間違い有りません。
もし、ご存命なら今年80歳を迎えたはず。昨今の「性転換」をめぐる状況をどう感じているか、お話をうかがいたいと思うのは私だけではないでしょう。 |
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